元気を出そう

秋の色 

秋の色立ち止まるとき寂しいとき

何とかしなければと気力を振り絞ってはみたものの、疲れてしまった。
今日は画像をアップするだけにする。

どんぐり

どんぐりや鉄腕アトムアメリカ製

どんぐりの帽子は、手塚治のベレー帽。そういえば、ハリウッド製の「ATOM」、見損なってしまった。




釣り百景/心落ち着かず

ボート釣り

ゆらゆらと秋たそがれてあるばかり

今週はなぜか気持が落ち着かず、まったく俳句を作ることができなかった。
俳句モードになれないというか、俳句を作っても、こんな駄句ばかりという状態で、ブログを開くのも億劫という、どうしようもない鬱。今週は釣りの俳句でいくつもりだったが、もう釣りはこれで終わり。
来週こそ心機一転、起死回生の目の覚めるような一句を期待したい。



釣り百景/釣り師は諦めず

あきらめない釣り師
 
大物の逃げて暮るるや磯は秋

ちょっとばたばたして、俳句できず。釣りをしている様子をいろいろ写真に納めてきたので、何かおもしろいことができないかと思っているのだが、肝心の俳句が全くできない。
今日は取り急ぎ、こんなところで我慢して、この週末にじっくりと考えよう!
これから用事が・・・



釣り百景/近頃流行る?女性釣り師

女性釣り師

街の子の夕日釣らむと秋の磯

最近、釣りが若い女性の間でブームになっているらしい。先日もルアーを持った女性の二人連れが、港を歩いているのを見かけた。ルアーは餌をつけなくて済むので、女性に人気なのかもしれない。
この日は、一人、磯で竿を出している女性を見かけた。ファッショナブルなスタイルで、とても釣りをする姿ではない。そのまま渋谷の街を歩いてもおかしくない格好だ。
足元の道具を見ると、なかなか本格的なので、おそらく誰か釣り好きの男性に連れてこられたのだろう。それにしても、こうした磯釣り場に若い女性がいると華やかでいい。
それにしても、釣りをしている時くらい、鞄を肩から外してもいいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

街の子や華やぐ秋の磯釣り場

しばらく見とれていたのだが、これがまた、かなり様になっている。夕陽に向かって磯に立っている姿は、どこかドラマチックでカッコいい。超望遠で一枚。
このすぐ後に、何か釣れたようだったが、遠いのと暗いのでよくわからない。写真も撮り損ねてしまった。

秋の海少女夕日を揺らしたり



秋の収穫

秋の夕日

収穫は秋の夕陽とでも言うか

この三連休は、またまた釣りに行ってしまった。しかも二度。
一度目は例の岩井袋港。前回いい釣りができたのと、台風の直後だったので、なんとなく大物が港の中に入り込んでいるような予感がして、わくわくしながら出かけたものだ。
ところが、その予感が見事に的中。いきなり大物がヒットして、竿が引き込まれ、リールがなかなか巻けず、振り回される。ようやく足もとまで持ってきたと思ったら、足もとのテトラに潜り込まれて糸を切られてしまった。
それから一時間ほどして、またもや大物!今度こそと思い、足場のいい場所に持っていこうとしたのだが、これが引き込まれてなかなか思うようにいかない。動けないのだ。
ようやく水面まで持ってきたと思ったら、ぎらりとヒラを打って反転、そのまま糸を切られてしまった。
でかい!最初のやつは姿をよく見ることができなかったが、今度は確実に目にした。30cm以上はあったと思う。
その話を家に帰って女房にすると、嘘だと笑われたので、それじゃ一緒に行って釣るところを見せてやろう、ということになって、次の日に、またまた岩井袋に行ってしまった。
ところがこれが釣れない。アタリさえないまま、時間が過ぎていく。その間、なぜか女房の竿には、小さなメジナやウミタナゴ、カサゴなどが釣れている。
そうこうしているうちに、キタ〜!ググッと引き込まれる。大声で女房を呼んで、どうだとばかりに見せつけてやったのだが、これがどうも様子がおかしい。最初は強くひいたのだが、意外にすんなりと上がってきてしまった。アイゴだ。
女房には、昨日の大物もアイゴじゃなかったの、などとばかにされ、その後アタリもまったくなくなって、気分が悪い。場所を変えることにする。
女房は、最初はドライブのつもりだったようだが、意外に釣れたので、はまってしまったようだ。文句を言わない。

一日目の釣果 二日目の釣果
▲左:一日目の釣果。大物を二匹も逃がしてしまったが、大興奮の一日。右:二日目の釣果。左端のアイゴ以外はすべて女房が釣ったもの。

館山の近くの富浦港の堤防に行って見たのだが、これが人の行列で入り込む隙間もない。あきらめてすぐ傍にある小さな港(旧富浦港)の岩場に行って見た。
ここも、家族連れや若いカップルなどが多く、釣りにならない。しかたがないので釣りはやめて、他人のバケツを覗いてみたり、写真を撮ったりしながら夕方までぶらぶらと過ごした。
夕日が秋の雲を連れて、海に落ちてゆく。何度見ても素晴らしい。



オクラの実と花

オクラの実と花

どう見てもオクラの実なりさても花

岩井袋港に出る途中の山の中で、妙なものを見た。数軒の家の前に畑があって、その畑一面に、なにやら野菜のようなものが植えてある。
茎は葉を取り払った枝豆のような感じで、枝豆よりも背が高く、1メートルちょっと。少し黄色みがかった槿のような花が咲いている。茎は木質化していて、野菜と言うよりも、芙蓉の木といった感じだ。
畑の半分以上は刈り取られていて、刈り取られた茎が数本束にされて畑にきれいに並べられている。人は誰もいない。
近づいてよくみると、茎の先端に、槍のようにとがった実が上を向いて生っている。
これは見たことがある。オクラではないか?オクラに間違いない。
オクラが生っているところを始めて見た。もちろん、花も初めてだ。
この花は、何かに似ている。槿とか芙蓉にも似ているが、もっと似ている花、そうだ、ハマボウだ。葉はシャクヤクとかそんな感じだ。
この花にこんな実がなるとは意外だ。意表を突かれた感じがする。
日中は役に立たない液晶画面のカメラで、なんとなくカンで数枚撮影。

オクラの花 オクラ畑
▲左:オクラの花のアップ。右:ほとんど収穫の終わったオクラ畑。

この時は、一本の茎の一番先に実がなっていたので、すべてそうなのかと思っていたのだが、あとで調べて見ると、そんなことはなく、一本の茎に立ち葵のように数個の花をつけ、実が生るようだ。
この時は、すでに収穫も終わりの時期だったらしい。その証拠に、夕方、釣りの帰りに見たら、すべて刈り取られていた。





秋の海/空っぽの世界

秋の磯

秋磯や暫し漂ふ空(くう)世界

海の俳句はどうも一本調子になってしまって、似たようなものができてしまう。そろそろこの辺で終わりにしたいのだが、最後に、ブログ初登場!私の勇ましい釣り姿で締めたい!!
この写真は、岩井袋港に行く前、妻と車で行った時の写真。たまたま他人のいない岩場に立って、小一時間ほど竿を出した時のもの。
何度も書くようで恐縮だが、釣りは子供の頃からの趣味で、高校の頃は、受験勉強もそっちのけで、絵を教えてもらっていた美術の先生と一緒に、庄内の秋磯に、自転車で通ったこともある。
釣りのどこが楽しいのか、釣りをしない人には全くわからないかもしれない。妻もそうだが、釣れなければ、つまらないとすぐにやめてしまう。
釣りをする理由は、もちろん大物を釣るということにもあるが、必ずしもそれだけではない。無心になって時間を忘れること、私の場合は、それが一番大きな理由のように思う。
釣り糸を垂れている間、心は空ろ、波の間を漂っている。
しかし、ボ〜っとしているわけではない。むしろ極度に緊張。矛盾しているようだけれども、無心に緊張していると言った方がいいかもしれない。
子供の頃の庄内の磯は、黒鯛がよく釣れたが、千葉の海はまったく釣れない。港と言う港、磯と言う磯に釣り人は群がっているが、クロダイなどの大物が釣れたのを見たことがない。
それでも、竿を出せば「無心に緊張」するのだから不思議だ。

ここでの獲物はベラなどの小さな根魚ばかり。帰ろうとした時に、糸鳴りがするほどの大きなアタリがあり、ひょっとして黒鯛か、と期待したのだが、上げて見れば、25センチほどのアイゴ。食べられるのかどうかもわからない魚なのですぐにリリースしたが、ドキドキした分、得をした。

ということで、特に書くことも思いつかないので、ここは唐突に終わりにする。



秋の海/秋日落つ

秋日落つ

秋日落つターナーの海鳶の笛

魚の写真も撮ったし、釣り具をしまってさて帰ろうと立ち上がり、海を振り返ると、何という光景。赤い夕陽が、滲むように、水平線の靄の中に隠れようとしている。
海と空の境も定かではなく、薄紫の朦朧とした空間が広がっているだけ。
ダイナミックでもドラマチックでもない。少しの青と、それより少しの赤を混ぜ、筆にたっぷり水を含ませて、紙の上を一撫でしたような、静かで混沌とした世界。
遠くにはウモネコか飛び、真上では鳶が一日の終わりを惜しむように、長く尾を引きながら鳴いている。
いつかどこかで見たような、秋の日の夕暮れの匂いがしてくるような、そんな光景。

この写真の俳句は、蛇足のようにも思えるが、まあ、俳句写真と言うことで、感慨を言葉に出して見たものの、何とも表現力の乏しい俳句だ。





秋の海/たゆたう浮子

たゆたう浮子

波止さやかたゆたふ浮子の白昼夢

岩井袋港は小さな港で、漁に出ているからかもしれないが、大きな船はほとんどなく、たまに船外機を付けた小舟が出入りするだけだ。かつては船着場だったと思われる防波堤はところどころ崩れて、そこに船が繋留されているとはとても思えない。いかにも寂れた漁村という感じがする。
地元の人は全く見かけず、釣り人が港の周りに数人、遠くの岩場に数人見えるだけだ。
その防波堤の突端に座り込んで釣り糸を垂れる。何が釣れるのかわからないし、特に何かを積極的に釣ろうという気持ちもないので、港に来る途中で買ってきた針と餌を付けて、適当な場所に投げ込む。
爽やかな風が陸から海に向かって吹いている。空は高曇り、鳶が数羽、頭上を舞っていて、ときどきするどい鳴き声をあげる。
ウキをじっと見ていると、自分の座っている岸壁が動いているのではないかと感じるときがある。また、アタリがあったわけでもないのに、なぜか突然ウキが見えなくなることがある。
たまに、ふっとウキが引き込まれる時があるが、うまく合わせられない。餌をつけ直してまた振り込む。たまには釣れることもあって、少し興奮。そんなことを一日中繰り返している。
その間、何を考えているかと言うと、おそらく何も考えていない。時間はいくらでもあるし、眺めもいいのだから、俳句の一つや二つ作れそうなのだが、そんなことは思いもしないのだ。
退屈とか、時間をもてあますなどと言うこともない。時間が止まっているというか、時間と言う観念がまったくないと言った方がいいだろう。

釣果はというと、これがなかなかのもの。十四五センチのウミタナゴ六枚に二十センチほどのメジナ一枚。

釣果

ちょうどいい釣果日暮れて波止や秋

獲物の種類も、数も大きさも、どことなくちょうどいい。





秋の海/沖を走る雨

海を走る雨

静けくも雨走り行く秋の海

10日近く、パソコンも俳句も忘れて、ぼんやりと過ごした。人に会いたくない、話をしたくない、といった自閉症的症状。
その間、二度も南房総の海に行った。一度目は妻と二人で車で、二度目は一人であてもなく電車に飛び乗って。
車で行くと、どうしてもあちこち動いてしまって、落ち着かない。電車で行けば、あまり動くことはできないので、同じ場所にじっとしていることになる。

安房勝山という大きな港で電車を降り、勝山港に行って見たのだが、釣り人が多く、気にいらない。釣り具屋のおばさんに道を聞いて、岬の裏側にある岩井袋という港に行くことにする。
細い坂道をゆっくり上ってトンネルを抜けると、小さな漁村に出た。途中オクラ畑でオクラの花などを観察したりしたので、30〜40分ほどかかってしまったが、静かで素朴な村だ。
この海は、岩井袋の小さな防波堤から見た海。
堤防の突端に腰を駆けて、とりあえず釣り糸を垂れる。別に釣れなくてもいい。ぼんやり浮きを見ているだけで、時間を忘れる。
写真を撮る気もなかったので、一眼カメラは置いてきて、ポケットに入るコンパクトカメラで、目に入る周りの景色を適当に撮って時間を過ごした。
穏やかな日で、波もなく、小さな漁船がときおり出入りするだけ。
沖を見ていたら、意外に早いスピードで、雨が走っていた。
パシャリ。コンパクトカメラに収める。最近のコンパクトカメラの欠点は、ファインダーがないこと。日中の屋外では液晶画面はまったく見えない。カンでシャッターを切るしかない。

昨日、この時の写真を見ていて、久しぶりに俳句を作ってみようと思った。
つまらない俳句がたくさんできた。おもしろくない俳句だが、なぜか穏やかな気持ちになる句だ。
こんなのがたくさんできてしまったので、今日からしばらくは癒し系俳句を乗せることにする。





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