烏瓜

烏瓜

竹藪や雀にあらず烏瓜

今日は病院に行ったついでに、ビッグカメラとか本屋などを覗いてきたので、遅くなってしまいました。
船橋の野草の写真もそろそろ尽きてきたので、最後に烏瓜で締めようと思っていたのですが、なかなか句が出てきません、数日前に作って、そのまま放っておいた句ですが、とりあえずこれで我慢することにします。
この時に撮った船橋の野草は、ほぼ紹介しましたので、次は木の実などを、と思っていたのですが、あまりここばかりにこだわっていると先に進まないので、船橋はこの辺で終わりにします。



数珠玉

ジュズダマ

数珠玉のお手玉の音手の名残

なんとなく懐かしいジュズダマです。都会ではほとんど見ることはありませんが、田んぼの畦道とか、畑と藪の間とかに生えていています。
小学生の頃、女の子たちは、秋、黒く固くなった実をお手玉に詰め、学校の冷たい廊下などに座り込んで遊んでいました。
ときどき、強引に誘われて、やらされたこともありましたが、何がなんだか、どこがおもしろいのかもわかりませんでした。
この実は、意外にずしりと重く、じゃりじゃりとした独特の音と感触が何ともいえず、好きだったのを覚えています。
俳句は、「玉」と「玉」、「手」と「手」を追いかけるようにたたみかけ、それを「の」でつないで、お手玉のリズム感をだしてみました。

今日は、誰でも見ているのに、名前は知らないとか、見過ごされているような花を取り上げてみました。

スカシタゴボウ キツネノマゴ
▲写真左:まずは、ほとんどの人が知らないであろう花から。これは、道端のどこにでも生えていて、春から秋まで、ずっと咲いているので、誰でも見ているはずなのですが、名前を知っている人はほとんどいないようです。
名前は「スカシタゴボウ(透田牛蒡)」。「すかした(気取った)牛蒡」ではありませんよ。
なぜこんな名前なのかはよくわかりません。花の盛期は春で、図鑑では春の花として紹介されています。
写真右:これもどこにでも咲いている花ですが、花が小さいので見逃している場合が多いようです。
名前は「キツネノマゴ」。どこがキツネノマゴなのかよくわかりません。昔の人は、いろいろな名前を思いつくようです。これは夏の終わりから秋にかけて咲く花です。

ゲンノショウコ イヌホオズキ
▲写真左:里山と田んぼの間にある藪の中に咲いていたゲンノショウコです。本来は初夏の花ですが、たまに秋にも見かけることがあります。
おそらく、ゲンノショウコという名前はほとんどの人が知っていると思いますが、ゲンノショウコの花を知っている人は、ほとんどいないと思います。最近は、少なくなってきたのか、だんだん見つけられなくなってきました。
花は、赤と白があるらしいのですが、私は白しか見たことがありません。赤は関西の方に多いと書いてありました。
写真右:これはイヌホオズキという、ナス科の植物で、これも、夏から秋にかけ、道端のどこにでも咲いている花です。
葉や花は、茄子に似ていますが、毒を持っているようで、家畜などが食べると中毒を起こすそうです。
このイヌホオズキは、あまり群生することはないので、なかなか印象に残らず、見逃しがちなのですが、よく似た花でワルナスビという草があり、これは所かまわず繁殖し、よく目立つので、誰でも見たことがあると思います。



野菊

野菊 

蝶の来て野菊たちまち揺れ騒ぐ

先日撮った野草の写真を見ていて、キク科の植物が多いことに驚きました。
紹介したものでは、ハキダメギク、コセンダングサ、ハハコグサ、タカサブロウはキク科です。
野菊は、秋の代表する花として、詩や小説に書かれ、また、俳句の季語にもなっていますが、ノギクという草はありません。
一般的に野菊と言えば、ヨメナ、カントウヨメナ、ノコンギク、ユウガギク、オオユウガギクなどを総称していうようですが、このそれぞれの花は、非常によく似ていて、なかなか見分けがつかないのです。
ヨメナは関東ではあまり見ないようなので、まあ、間違わないとしても、ユウガギクとカントウヨメナは非常によく似ています。
写真の花は、おそらくカントウヨメナですが、なぜカントウヨメナかというと、この写真ではあまりよく見えていませんが、葉の形やぎざぎざの数、花の見た感じなどでそうじゃないかな、と思うわけです。

ということで、今日は、戦時う撮影したものの中から、これまで紹介していなかった、キク科の野草を紹介しましょう。

ヨメナ アキノノゲシ
▲写真左:まずは、写真俳句にも使用したカントウヨメナ。この花は、田んぼのあぜ道などでよく見かける、いかにも菊の花らしい野菊です。ユウガギクと非常によく似ているようなのですが、較べてみたことはありません。なので、私がカントウヨメナと思っているものが、ユウガギクかもしれません。正直、よくわからないのです。
見分け方はあるのですが、専門的になり長くなるので、私の野草のサイト「野の花図鑑」で書こうと思います。
写真右:これは、アキノノゲシ。春に咲くノゲシがあるので、区別するために、アキノノゲシと呼んだようですが、春のノゲシとは全く違う花です。
花は淡いクリーム色で春に咲くオオジシバリにそっくりですが、秋の野原や荒れ地などでよく見る、1〜1.5メートルほどもある大きな野草で、遠くからでもよく目立ちます。

ノゲシ ホウキギク
▲写真左:これが春にタンポポのような黄色い花を付けるノゲシです。だいたい夏の終わり頃までは咲いていますが、今頃咲いているのは珍しいかもしれません。普通の道路の道端などにも咲いている生命力の強い花です。
写真右:これはホウキギクです。道端や荒れ地などに普通に咲いているのですが、背が高いくせに花が小さく、いつも枯れているような感じなのであまり目立たない花です。

ヒメジョオン ノボロギク
▲写真左:これは、春から夏にかけて野原を占領して咲いていると言っても過言ではない、ヒメジョオンです。この花の花期は非常に長いので、今頃まで咲いていても不思議ではありません。
所かまわず一面に群生して咲いていると、あまりきれいだとは思いませんが、こうして秋の草であるコセンダングサやエノコログサなどに交じってポツンと咲いているのは、ちょっと風情があっていいものです。
写真右:これは、田んぼや畑、ちょっと湿った道端などで、ほぼ一年中見かける花ですが、盛期は春から夏にかけて。黄色い蕾のように見えるのが花で、花が終わると開いて白い綿毛が広がります。



末枯れ

末枯れ

耕さぬ田や影もなく末枯るる

東船橋の山側は、休耕田が多く、空き地のまま、草に埋もれています。JRの駅まで徒歩15分、東京駅まで20〜30分と立地に恵まれている割に、宅地化が進んでいません。
この草一本の値段はいくらなのか、などとつまらないことを考えてしまいます。

この草は何の草かよくわかりませんが、イネ科のメヒシバに似た細く背の高い何かです。田んぼ全体が、もう黄色く枯れかかったこの草で覆われています。
この辺は、なぜかメヒシバならメヒシバだけ、ヒレタゴボウならヒレタゴボウだけ、というように、田んぼごとに極端に分かれているようです。
今回、野の花を撮影した場所がどんなところか紹介します。

休耕田 休耕田
▲写真左:道路を挟んで、右側が田んぼや休耕田、左側が畑と田んぼになっています。 道と田んぼの間には、小さな川(田んぼの用水路)が流れていて、セリやクレソン、ミゾソバなどが生えていました。
写真右:ここも田んぼなのですが、整地された跡があり、そこに一面に何かの草が芽吹いていました。

小川 小川
▲上の写真の道路の右側にある小川です。この川沿いには様々な花が咲いていました。ここは春にもさまざまな花でにぎわうところです。右側の写真は、川の真ん中に浮島のようになって咲いているイヌタデとイヌガラシ、セリなどです。浮いているわけではなく、川底にしっかり根付いているようです。

休耕田 休耕田
▲写真左:田んぼと畑の境の斜面に咲いている草花です。日当たりがいいためか、ホトケノザやカタバミ、ハコベ、ナズナ、ノコンギク、ノゲシ、アキノノゲシなど季節に関係なくさまざまな花が咲き乱れていました。
写真右:この写真俳句に使った場所。ここも休耕田のようです。奥には鬱蒼とした森というか小さな里山のようなものが広がっていて、ここにも面白い草がたくさんあるのですが、今回はそこまでは踏み込んでいません。



秋草-3

タカサブロウ

秋草の高三郎と名乗りたる

これはタカサブロウという花で、田んぼの畦道や休耕田などに 咲いています。
8月の終わりごろから10月の中頃までが盛期なのですが、ここではまだ、あちこちに咲いていました。
花の大きさは直径5〜6ミリ、キク科特有の舌状花と筒状花からなり、白くて可憐な花です。
特徴的なのは、花の横に写っていますが、種です。ヒマワリの種を小さくしたような感じで、成熟すると黒くなります。

ところで、このタカサブロウ(高三郎)という名前、野草にしては変な名前です。
語源を調べているのですが、よくわかりません。
ほとんど同じような花で(私には見分けがつきません)、アメリカタカサブロウという名前の花もあり、これは、南米原産の帰化植物ですが、全く同じような花が太平洋を隔ててある、というのも、考えてみれば不思議です。

陽気のせいなのか、ここでは、春の花と言われている花を多く見かけました。
オオイヌノフグリとかホトケノザなどは、たまに秋とか冬に咲いているのを見ることもありますが、これだけ群生して咲いていると、ちょっと何か変なことが起きるのでは、などと考えてしまいます。

ホトケノザ ハコベ
▲左の写真:早春に野原を彩るホトケノザです。春のホトケノザは、もう少しピンクが鮮やかなような気がしますが、ここでは、淡い薄紫で、それが青緑の葉の色と調和し、上品かつ儚げな雰囲気を漂わせていました。
右の写真:これも早春の花で、春の七草のひとつハコベです。休耕田のあちこちに咲いていましたが、心なしか花が小さいような気がします。

ナズナ イヌガラシ
▲左の写真:これも春の七草のひとつナズナ、別名ペンペン草です。他にグンバイナズナなども、イヌタデと同居したりして、季節感覚が狂ってしまいそうです。
右の写真:これは、春から初夏にかけて咲くイヌガラシです。小川の水縁りに、セリの花などと一緒に咲いていました。

オオイヌノフグリ ハハコグサ
▲左の写真:ご存じ、春の青い星オオイヌノフグリです。春のように群生こそしていませんでしたが、それでも、草の中に埋もれながらも、しっかりと咲いています。
右の写真:春から初夏にかけて咲くハハコグサ。この花もあちこちで見かけました。



秋草-2

秋の草

野にあればこそ愛ほしき秋の草

東京芸術大学美術館で開かれている木彫の展覧会が、明日で終わるということに,
今朝、気がついて、急遽出かけてきました。
思いがけず、高村光太郎の「鯰」が展示してあり、大感激。でも疲れました。

さて、秋草の続きです。
多分休耕田なのでしょう。田んぼの横に広い野原があって、一面、枯れたメヒシバに覆われている中に、よく見ると野菊やノゲシやイヌタデなどがたくさん咲いていました。
写真の草は、チカラシバという、エノコログサのお化けのような草で、周りの草よりも抜け出て非常に目立っていました。
望遠レンズで覗いてみると、うるさい周りのオヒシバなどがぼやけて、長谷川等伯の墨絵を見るようにいい感じです。
墨絵を意識し、できるだけ余分なものは写らないように、色もモノトーンになるようなアングルで撮ってみました。

その他の花では、都会ではちょっと珍しい、あまり見かけない花も撮ってきましたので、今日はその中の4点を紹介しましょう。

イシミカワ イシミカワアップ
▲まずは、イシミカワ。花はあまり目立たないのですが、実がとてもきれいです。直径5ミリ前後の青や紫、ピンク、黄色などの実が、団子を積み重ねたようにつきます。見るだけでうれしくなってしまいます。田んぼと畑の境目とか、藪と道端の境目など、ちょっと湿っているけれども日当たりが良い、といったところでよく見かけます。

アカバナ アカバナアップ
▲アカバナという草です。花は7月から9月末頃までが一般的なのですが、なぜか咲いていました。やはり田んぼのあぜ道や休耕田などの湿ったところで見かけます。棍棒のような長い子房のさきに、直径5ミリほどの小さなピンクの花を咲かせます。
秋には葉が紅葉し、枯れるため、この長い果実がとても目立ちます。

ハゼラン ハゼランアップ
▲この線香花火がはじけているような花は、ハゼランです。もともとは観賞用にアメリカから輸入されたもののようですが、今は野生化して、ときどきこうした野原などで見かけます。
花は、3時ころから夕方にかけて咲くため、三時花(サンジカ)とか、三時草(サンジソウ)という名前もあるようです。
残念ながらこのときは、ちょうどお昼頃だったので、まだ咲いていませんでした。
ひょろひょろと背の高い草なので、全体を写すと、どんな花なのかさっぱりわからなくなってしまいます。こういう花を写真に撮るのは非常に難しいですね。

ヒレタゴボウ ヒレタゴボウアップ
▲非常によく似た花に、日本の在来種のチョウジタデがありますが、これはアメリカ原産帰化植物のヒレタゴボウです。花の大きさと実の大きさが違います。
水田や休耕田、沼地、湿地などで見かけます。背の高いもので1メートルほどにもなり、群生している場合が多いようです。
秋になると紅葉するのか、ここでは赤いじゅうたんのようになって群生していました。



秋草

二番穂

二番穂の実は赤まんま畔の道

ちょっとわかりづらいので、まず俳句の解説から。
稲が刈り取られた後にひこばえが生え、そこに、二番穂という穂が出て実のようなものがなるのですが、中は空っぽ。実際実は入っていません。
その田んぼの畦道には、赤まんまがびっしりと生えていました。まるで、二番穂の米が、収穫を祝って赤いまんまに化けてしまったようです。
といった、他愛ない俳句です。

JR東船橋駅から山側に10分も歩くと、もうそこは田んぼと畑と荒れ地です。
この辺は、春にはよく来るのですが、秋に来たのは初めて。 
田んぼのあぜ道を歩いていたら、さまざまな野の花たちと出会いました。
まず、今日はその中から、一面に群生していて特に目立った花たちを紹介します。

赤まんま 赤まんまアップ
▲おなじみの赤まんま。本名はイヌタデ。道端や田んぼのあぜ道などに生え、子供の頃に、赤いご飯に見立ててままごと遊びをしたものですが、この遊びは全国共通のようで、草の名前も赤まんまが定着しているようです。

ハキダメギク ハキダメギクアップ
▲これは、ハキダメギクというかわいそうな名前の小さな花ですが、よく見ればとても個性的でかわいい花です。

ミゾソバ ミゾソバアップ
▲これも、田んぼのあぜ道や用水路の周りでよく見かけるミゾソバです。赤まんまと同じタデ科の植物で、小さな薄いピンクの花が数個集まって咲きます。

コエンダングサ コセンダングサアップ
▲これは、コセンダングサというキク科の植物で、黄色い蕾のように見えるのが花です。花弁はありません。実が独特ですね。一つ一つの種は、人の衣類や獣などにくっつきやすいように、カニの爪のような形をしています。



フランス色の秋

サガンの秋

青春のサガンよフランス色の秋

今日は、船橋の田んぼへ野の花を撮りにいってきて、いま、整理中です。
面白いのは、なぜか今頃、春の七草であるナズナ、ハコベ、ホトケノザとかオオイヌノフグリなどがたくさん咲いていたことです。また初めてみる花や、名前のわからない花などもありました。この話は明日以降にすることにして…。

今日は、またまた、以前のウサギの写真です。

この写真を見て、最初に浮かんできた言葉が「悲しみよこんにちは」でした。
うさぎがぴょこっと枯葉の間から首を出して「こんにちは」 と言っているように感じたのと、目の下にある木のシミが涙に見えたからです。
高校時代、サガンに夢中になったことがあり、映画少年でもあったので、映画化された「悲しみよこんにちは」と「さよならをもう一度(小説の題名は「ブラームスはお好き?」)」を観に行き、泣きました。

「悲しみよこんにちは」でデビューした、セシールカットのジーン・セバーグに夢中になって、フランスを夢見たこともありました。
そう言えば、ジーン・セバーグは、たしか自殺してしまったんですよね。

「さよならをもう一度」では、アンソニー・パーキンスが、印象に残っています。
この映画は、なんとなくだらだらとしてしまらない映画で、原作の小説の方がずっとよかったのですが、それでも、ブラームスの音楽と、イングリッド・バーグマンが最後に、階段を駆け降りるアンソニー・パーキンスに向かって、「I am old!」と何度も叫ぶところは、今でも脳裏に残っています。

ということで、若き日に憧れたフランスを思い出しながらの一句です。



樫の実

樫の実

前後樫の実落ちよ左右
(まえうしろ  かしのみおちよ  ひだりみぎ)

今日は撮影には絶好の小春日和だったのですが、急用ができてしまって、出かけることができませんでした。
この写真は、去年のちょうど今頃、卯年の年賀状を作ろうと思い、木でウサギを彫って、近くの公園に行って撮影したものです。
紅葉の真っ最中だったので、まったく正月の雰囲気がなくて、一連の写真はすべてボツにしてしまいました。

俳句は、なかなかうまくできずに迷っています。

  樫の実や昔語りのうろ覚え

  樫の実や幾度数へし子守の日

この辺も捨てがたく、もう少しなのですが…。

このウサギ、いま、私の机の前に鎮座しています。

うさぎ-1 うさぎ-2
▲このときに撮影した写真の一部。



俳句について(6)季語を考える-2

雲海の紅葉山

雲の海紅葉の山を呑込みぬ

紅葉はなぜかいつも雨。
昨日も 天気予報では全国的に晴れのはずが、朝から曇りで、赤城山は薄い雲の中でした。
それでも、昼過ぎには、太陽こそ出ませんでしたが、もやが少し晴れ、なんとか素晴らしい紅葉を見ることができました。
これは、目の前の山が、下から上がってきた雲に、あっという間に呑み込まれたところです。

◆  ◆  ◆

「季語を考える」の続きです。

●季語認定の不思議

俳句でいう季語とは、その季節を表すと思われる言葉を定めたもので、大きく、春・夏・秋・冬・新年の五つに分かれ、その中でまた、時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物というように分類されています。
それぞれの季節のそれぞれの項目に、きちんと決められた言葉があり、それを季語と呼んでいるのです。
その季語を決めたのは誰かと言うと、勉強不足ではっきりしないのですが、今はおそらく、現代俳句協会のようなところが決めているのかもしれません。
季語は連歌と呼ばれた昔からあったようで、連歌の発句に季節の挨拶として読み込むことが約束になっていたようです。
芭蕉のころにはすでに歳時記の様な季語集があって、季語はある程度まとめられていましたが、それは、当時の俳人すべてが共有する情報ではなく、いわば勝手に決めたといことのようです。
俳諧から分かれた川柳や、季節を重視したはずの短歌の世界では、芭蕉の頃には、すでに季語はあまり重視されていませんでしたが、俳句では、かなり重く見ていたようで、季語がなければ俳句ではないという風潮も、一部俳諧の宗匠の間にはあったようです。
ところが、正岡子規は、俳句に季語は必須ではない、ということを改めて言い始め、それに賛同するかのように、無季俳句が盛んと作られるようになりました。やっと短歌や川柳に追いついたというわけです。
ところが、昭和に入って、季語がうるさく言われるようになりました。高浜虚子が花鳥諷詠を言いだしたために、季語が入っていなければ俳句じゃない、などと言われるようになってしまったのです。まさに時代の逆戻りです。
無季の俳句があってもいいと言った正岡子規。季語がなければ俳句じゃない、と言った虚子。この二人は師弟の関係なのですから皮肉です。

虚子が俳句の世界に君臨するようになってから、季語は急激に増えたようで、時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物というように体系づけて分類されたのも最近のようです。季語がどのように管理され、更新されるのかよく知りませんが、どこかで誰かが更新しているようです。
季語と言うと、昔の古い言葉と思われがちですが、「アノラック」「デリシャス」「ネクタリン」などといった外来語も季語として認められています。
言葉はどんどん変わっていき、特に外来の植物や動物も増えてきました。そうした新しい言葉を季語として認めてもらうためには、どうすればいいのでしょうか。
「万緑」という季語がありますが、これは中村草田男が「万緑の中や吾子の歯生え初むる」と詠んだのが始まりで、その後、「万緑」と言う言葉を多くの俳人が使い始めたために、季語として認められるようになった、というのは有名な話です。
ということは、誰か高名は俳人が使って、それをやはり少し高名な俳人が踏襲するということであれば、季語になりうるのかもしれません。
例えば、私の様な素人が、この時期盛んと飛んでいて、洗濯物などと一緒に家の中までも入り込んでくる「カメムシ」を俳句に詠んだとしても、それは季語としては認められません。
「カメムシ」という言葉は俳句歳時記には掲載されておらず、あえて言うとすれば「放屁蟲(へひりむし)」がそれに当たるようですが、俳人は、「放屁蟲」などと言う可哀そうな名前で詠まないで、せめて「亀虫」と詠んであげれば、「亀虫」が新しく季語に登録されるのでしょう。
 いずれにしても、季語がなければ俳句ではない、などと言いながら、その重要な季語は誰が決めるのか、と言ったことは、曖昧模糊としてすべて藪の中です。

いま、こんな些細なことから季語に入り込んでしまいましたが、私が言いたいのは、こんな季語の認定とか言ったことさえ曖昧な俳句の世界の不思議さというか、無神経さ、鈍感さ、非現実的な体質を明らかにしたい、ということです。
次回からは、俳句歳時記に掲載されている季語を取り上げながら、具体的に季語について考えて行きたいと思います。


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