冬の鴎-2

 冬の鴎-2

半世紀移ろふ冬やただ異郷

数日前に、故郷にいる弟と電話でいろいろ話したところ、故郷の実家は、家の周りがすべて取り壊され、建物は、来年の春には取り壊されると言うことでした。
跡地には、無人の開山堂が建つということで、とうとうすべては無くなってしまいます。どこか寂しい。
東京から千葉へと転々として移り住んで、ちょうど50年。故郷にいたのは18年間で、覚えているのは7歳前後からですから、まあほぼ10年間。その10年間と、東京に出てきてからの50年間を比べると、東京の50年間がいかに虚しかったか。
いまは、帰る家は無くなってしまいましたが、故郷への思いはつのるばかりです。



冬の鴎

冬の鴎

さて何処へ冬は鴎と風になり

今日は寒い一日で、こんな日は、干潟にユリカモメがたくさん来ていることが多いのですが、今日は出かけられず、一日中パソコンとにらめっこ。
この写真は、数年前に撮ったもので、当時はまだ、鳥がたくさん飛んできました。
杭すれすれまで潮が満ちてきて、もう少しすると、杭は水面下に沈んでしまい、鴎はどこかに飛んでいきます。



冬の道

冬の道

この道のそこから先は冬の道

昨日は、元同僚とビッグサイトでやっているデザインフェスタというイベントに行って、とてつもなく疲れました。
若い女の子が多く、私の様な老人は一人もいません。
熱気むんむん、ものすごいエネルギーが集中している感じで、若者のパワーに圧倒された一日でした。まだ足腰が痛い…。

仕事を引き受けたのはいいのだけれども、私が使っていたソフトは、もうすっかり古くなってしまって、アップグレードしたら、これがまたよくわからないのです。
仕方がないので、本を買ってきて猛特訓中。
世の中はどんどん進んでいますね。



立冬

 立冬

立冬の図書館までは自転車で

立冬の日に、図書館に行ってきました。天気が良かったので、何気なく自転車に乗って行ったのですが、意外に寒くて、さすが立冬、昔の人は季節の移り変わりをよく知っている、と変なところで感心してしまいました。

図書館は、平日でも意外に人が多くて、驚かされますが、ほとんどは60代後半の男性の方で、おそらく、定年退職して暇を持て余している方たちだと思われます。
広い閲覧室は、いつも受験生でいっぱいですが、学校はどうなっているのでしょうか。不思議です。
図書館で借りるのは、大概、俳句の本や美術史などの本で、小説などは借りたことがありません。
画集や図鑑などはその場で見て、メモをとったりしています。

この図書館は近くていいのですが、専門書が少なく、また、新しい本がなかなか入ってこないことが不満。俳句の本などは、もうほとんど読みつくしてしまいました。

以前は辞書や植物図鑑などは、コンパクトデジカメで写真に撮ったりしていたのですが、どうもそれはいけないことのようで、女房に注意されました。
メモやコピーを撮るよりは、写真に撮った方が簡単なのですが、どうしていけないのでしょうね。図書館の人に注意されたことはありませんが。

などと、とりとめのないことを書き散らして、今日は終わりです。
なぜか、このところちょっと忙しいのです。



綿虫

綿虫

綿虫や逢う魔が時の帰り道

今日も、写真がないので、去年、故郷にいる高校時代の友達に頼んで撮ってもらった、とっておきの写真に句を付けてみました。

これは、私の故郷、鶴岡の羽黒橋からみた月山です。
私は、この月山の麓、この写真の左端の白い屋根が並んでいるあたりで、生まれ、18歳まで、ここで育ちました。
この川は、赤川という川で、月山から流れ出す、山形県で最上川の次に大きな川です。
子供の頃は、いつもこの川で遊んでいました。泳いだり、潜ったり、カニの罠を仕掛けたり、釣りをしたり、私の青春は、すべてこの川にあると言っても過言ではありません。

秋、米の脱穀も終わり、月山に初雪が降る頃になると、年に幾度も見ることができない素晴らしい光景に出合うことができます。
それが、この月山の残照です。
月山の正面に、庄内平野を挟んで、金峰山という小さな山があるのですが、夕日はその山の向こうに沈みます。
夕日が金峰山に隠れた後、その山の影が庄内平野を覆って、月山の中腹を過ぎ、雪が積もっているあたりまで差しかかると、山が突然輝きだすのです。
周りはもう薄暗いのに、月山の頂上付近だけが輝いています。
子供の頃、川で遊んだ帰りに、何度かこの素晴らしい光景を目撃し、未だに目に焼き付いています。
高校に入ってからも、学校の帰り、自転車通学だったので、自転車でこの橋を通るときに、ちょうどこのカメラ位置で月山の残照を幾度か目にしました。

これは、月山に雪が降り、ちょうど綿虫が飛ぶ頃でないと見ることができません。
太陽の沈む位置と山の影の関係、空気の澄み具合、雪の有無など、すべての条件がそろわないと、このようには輝かないのです。

故郷を離れて50年、もう私の家もなくなってしまいましたが、この風景が忘れられず、かといって、いつ見られるかわからない自然現象のために故郷へ帰ることもできないので、故郷にいるアマチュアカメランの友達に頼んで、大体の日時と場所、レンズの長さまで指定して撮ってもらったのです。

ところが、指定した日は天気が悪く、12月に入ってから撮ったようなので、雪が多すぎるのと、山の影があまりはっきりしていないところが不満と言えば不満ですが、まあ、イメージ通りの写真を撮ってもらうことができました。

この風景と綿虫は、切り離せません。このマジックタイムとでもいうか、たそがれ時の時間帯は、ふわふわと 白い綿虫がいつも飛んでいました。
その綿虫を追いかけながら、月山の残照の中を帰って行ったものです。

ちなみに、下は、この写真を撮ってもらう前に、私が学生時代に撮ったモノクロ写真を元に、イメージで描いた月山の残照と一昨年に付けた俳句です。

月山



凩

凩の息留めている一処

二、三日前は、木枯らしが吹いたりして、急に寒くなったのに、今日は23℃という暑さ、せっかく木枯らしの句を作ったのに、しらけてしまいましたね。

木枯らしは、台風のようにずっと強く吹いているわけではなく、ちょっと呼吸をするような感じで、吹いたりやんだりするようです。また、場所によっては、まったく風の届かない場所などもあるようで、ここ、谷津干潟の葦の茂っている一角も、風がこないのか、コサギとダイサギが仲良く並んで風を避けているようです。 
その後ろでは、仲間外れにされたのか、アオサギが拗ねて後ろを向いています。

とうとう写真がなくなってきました。
明日は、自転車で船橋の山側の方に行ってみようと思います。
田んぼや畑があるところで、春には野草の花がいろいろ咲いているのですが、今頃は何もないかもしれません。



秋茱萸

秋グミ

秋茱萸の摘むや幼きが風の川

谷津干潟で、真っ赤に熟れた秋グミを見つけました。観察エリアの柵のところだったので、おそらく植えられたものでしょう。

子供の頃、近くの大きな川の河原に、野生のグミが群生している広いグミ原があって、そのグミ原を分け入った崖の下が鯉釣りのポイントになていました。
ちょうど今頃、真っ赤に熟したグミを枝ごと折り、枝にしゃぶりつくようにして食べながら釣りに行ったことを思い出しました。 
釣りの餌であるミミズを川の中に落としてしまい、このグミの実の種を取ったものを数個、釣り針に付けて、大きな鯉を釣ったことがあります。
大きすぎて上げることができず、逃げられてしまったのですが……。



神無月

ユリカモメ

神無月かもめは風と共に来る

今日は旧暦10月3日、すでに神無月です。
いつもこの時期、木枯しが吹くころになると、谷津干潟にもユリカモメがわたってきます。
都合のいいことに、ちょうど「10」と書かれた杭に止まっていました。まさに神無月のユリカモメです。
木枯しに吹かれて、羽根が逆立っています。

ところで、今年の立冬は11月8日なので、まだ冬には入っていませんが、「神無月」は、なぜか冬の季語です。「百合鴎」も冬の季語なのです。
まあ、木枯らし一号も吹いたことなので、もう冬ということで……。

ちなみに「木枯し(凩)」も冬の季語なのですが、あまり早く吹いてもらうと、俳句が作りづらくてしょうがありません。

俳句を作る上では、今頃の季節が一番難しいんです。東京近辺の紅葉は11月中旬頃から12月初旬頃です。撮った写真を見れば秋の風情なのですが、暦の上では冬、季語も冬の季語を使うようになる、といった悩ましい時期なのです。



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