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皇居・諏訪の茶屋

皇居・諏訪の茶屋

秋冷の屋根より来る諏訪の茶屋

皇居東御苑にある諏訪の茶屋という茶室。二の丸跡の庭園の片隅にあって、静かな佇まいを見せている。庭園を訪れるたびに、この書院造風の建物が気になってしかたがないのだが、近づいたことはない。おそらく中には入れないのだろう。
この建物の素晴らしさは、屋根にある。茶室とは思えない重層のどっしりとした屋根。大きく張り出した庇。やわらかくゆったりとカーブした破風。秋の傾きかけた日に光る銅葺。誰が、いつ頃作ったものか、また、名前の由来など、私にはまったくわからないのだが、日本人の感性から生まれたすぐれた造形がそこにある。
夏の強い日差しの中で見せる屋根のコントラストも素晴らしいが、秋、やわらかな斜光の中で見せる、やさしい表情も捨てがたい。

この建物を俳句に詠みたいと、しばらく立ち止まって眺めてみるものの、その気品に圧倒されて言葉にならない。秋の冷気がその大屋根から降りてきて、周りをさわやかに包み込む。

諏訪の茶屋の屋根_1 諏訪の茶屋の屋根_2

「秋冷や」。まず置いてみる。この建物を前に、きりりと身の引き締まる感じは、「秋冷や」以外にないような気がしてきた。さて、次が出てこない。
諏訪の茶屋の佇まいをどう表現するか。固有名詞を出すか出さないか。悩む。とりあえず写真に収めてその日は保留。

秋冷を屋根にまといて諏訪の茶屋

写真を見ながらぽんと出てきた句。屋根の光っている感じが、秋の冷やかさをまとっているように見えた。
しかし、これはだめだ。「秋冷を屋根にまといて」などという擬人法は全く古い。何のために俳句を作っているのか、これまで一年も俳句をやってきて、こんな句しか浮かばないとは情けない。

秋冷や屋根すべり来て諏訪の茶屋

「秋冷や」の「や」と「茶屋」の「や」が偶然韻を踏んでしまったのが、どこか嫌味になっている。「すべり来て」も理屈っぽい。

秋冷の屋根に漂う諏訪の茶屋

「屋根に漂う」は平凡すぎる。「秋冷」は気に入っているし、「諏訪の茶屋」は、わからない人がほとんどだと思うのだが、語感がいいので残すとして、中七をどうするか。屋根を何とかしたい。屋根にどんな詩があるか。
気品があって身が引き締まる、作った人の感性があふれている、感性に共感する、やさしい気持ちになる、うれしくなる、人間の素晴らしさを感じる……。

秋冷の屋根より来る諏訪の茶屋

先にも言ったが、この建物の素晴らしさは屋根にある。「屋根より来る」は、平凡な言葉だが、単に秋の冷気が屋根から降りてくるということを表現したのではない。建物の気品、やさしさ、感動など、すべてがこの屋根から発しているということ、それを象徴したつもりなのだが、これも理屈か。




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