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蓮の実飛ぶ



蓮の実の飛ぶ日はいつか日は陰る

ちょうど去年の今日、私は蓮の実が飛ぶのを、カメラを構えて待っていた。蓮の実はこぼれるのではなく、飛ぶものらしい。どんなふうに飛ぶのか見てみたい。それが目的ではなかったが、去年の今頃は鬱状態が続き、無目的に電車に飛び乗って、千葉の里山や海を歩き回っていた。偶然、蓮の実が飛び出しそうな風景に出会って、「蓮の実飛ぶ」という言葉を思い出したのだ。当時は俳句をやろうなどとは思ってもいなかったので、「蓮の実飛ぶ」という言葉が、季語であることは知らなかった。ただ、言葉として聞いたことがあるというだけである。
蓮の葉は、みな途中で折れてしまい、池に倒れ伏している。蓮の実だけが、あちこちににょっきりと立ち、そこに秋の日がスポットライトのように差していて、いかにも種を飛ばしそうな雰囲気だった。私は、息子に借りてきた800ミリ相当の望遠レンズを構え、しばらく待った。肉眼ではわからないのだが、800ミリのレンズで見ると、蓮の実は、風でかなり揺れている。蓮の実もはっきりと確認できる。
眼の端で何かが飛んだ。カメラを向けていなかった蓮の実だ。飛んだのか?しばらく眺めているまた、何かが飛んだ。小さな青ガエルだ。カメラを向けて、超望遠でよく見ると、蓮の実の裏側などにへばりついているのがわかる。
そのうちに日が陰ってきて、実は飛びそうもなく、鬱がますますひどくなった。

そんなことを思い出して、俳句を作る気になった。

蓮の実は飛ばず鬱のみつのりたり

「鬱のみつのりたり」は、表現としてどうだろうか。蓮の実と鬱が因果関係にあるような感じ。それが悪いわけではないのだろうが、どこか薄っぺらな感じがする。現在のものとしてとらえているので、「鬱」という言葉が生々しく響く。

蓮の実飛ぶ去年の今日は鬱なりき

そういえば、去年の今日は鬱がひどかったなあ、という感慨。だから何なのか、と言ってしまえばそれまでだ。「鬱」という言葉は出さない方がいいようだ。

蓮の実や去年の今日は飛ばずして

これはつまらない。蓮の実が飛ぶ、ということだけで、詩の世界が作れるか。「去年の今日は飛ばずして」の「して」のあとには、どんな言葉を続けようというのか。ちょっと逃げている。「去年の今日」という言葉は、ちょっとありふれて陳腐だ。

蓮の実の飛ぶ日はいつか日は陰る

「蓮の実の飛ぶ日」と、季語をちょっと象徴的に扱って見た。夢か、希望か、期待か、未来に向かう何かが始まるのは確かなのだが、それがいつかはわからない。そう遠い日ではない、近いいつかだ。
下五は「日は差しぬ」でもいいのだが、それだとあまりにも都合がよすぎる。ちょっと屈折して「日は陰る」としてみた。

何度読み返してみても、あまりピンとこない。響かない。たぶんどうしようもない句なのだろう。「飛ぶ日はいつか」と「日は陰る」の間に、通じるものというか、共感がない。蓮の実を最後まで引きずっているのがよくないのだろう。




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