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代官山・旧朝倉邸-1/庭

奥座敷から庭を望む

奥座敷色なき風にねまるなり

代官山ヒルサイドテラスのすぐ裏に、国の重要文化財の旧朝倉邸がある。つい最近、一般公開されたばかりらしい。いまや若者の街となった代官山の、それもショッピングの中心地に、このような静かな場所が残っているとは驚きだ。代官山の高台の斜面にあるため、部屋から見る景色は開けていて、都心のショッピング街とは思えない。住宅やビルなどは何も見えず、森の中にいるような解放感がある。
その朝倉邸の一番奥まったところにある10畳ほどの座敷から観る庭は、特に素晴らしい。庭が急斜面に作ってあるため、座敷が空間に浮かんでいるような錯覚に陥る。
庭の反対側(この写真を撮っている側)には、もう一つ同じような広さの部屋があり、廊下をはさんで中庭に面している。秋の爽やかな風が、部屋を通り抜ける。日本の住宅の素晴らしさだ。部屋の中に立っているのが無礼のような気がして、ついつい正座してしまう。

庭から奥座敷を望む
▲庭から見た奥座敷。一番左に見えるのがこの部屋

こういう場所で、静かに俳句でも捻ることができれば、俳句をやっている気分になれるのだが、その場にいると何も思いつかない。俳句というやつは、現場でぽんと出てくるものではないのだ。というわけで、

秋気澄む代官山の奥座敷

例によって、最初に出てくる句は、なんのことだかわからない。代官山も言いたいし、奥座敷の静かなたたずまいもいいたい。欲張りなのだ。

開け放ちねまる座敷や秋気澄む

代官山はあきらめて、日本建築の背筋がぴんとなるような、気品のあるたたずまいに、焦点を絞り込む。「秋気澄む」は、季語として品を感じるので、そのまま生かすことにして、「ねまる」という動作を表わしてみた。
「ねまる」は、聞きなれない言葉だが、「黙って正座する」という意味で、おそらく古語なのだろうが、私の故郷、庄内では日常使っている。「座敷に入ったら、突っ立っていないで、まずねまれ」とよく言われたものだ。
「ねまる座敷」は、言葉としていやではないが、「開け放ち」が気になる。特にこの場合、障子を開け放ったのは自分ではなく、すでに開け放ってあったのだ。どうでもいいことだが、嘘を言っているような気がするのか。
それよりも、「秋気澄む」という季語に合わせようとしているところが、問題だ。「秋気澄む」と言えば、すでに座敷の障子は開け放たれているということはわかる。要するに、言葉がダブっていることになる。

秋澄みて思わずねまる奥座敷

親のしつけが効いているのか、座敷の中にぼ〜っと突っ立っていることができない。思わず正座してしまう。「ねまる」とはそういうことだ。
季語を後に持ってくると、どうものんびりしてしまう感じがあり、緊張感が薄れるので、前に持ってきた。「思わずねまる」は、あまりにも直接的か。こういう感覚は、自分だけのものかも知れない。観念的すぎてわからないか。

奥座敷色なき風にねまるなり

季語を「色無き風」に変えてみた。座敷の中を風が通り抜ける感じが欲しいと思ったのだ。「色無き風」という、どこか雅で詩的なイメージが、この部屋に最初に立った時のイメージに近いのではないか。「色無き風にねまる」には、日本的情緒があるように感じる。

読み返してみると、古い。言葉がすべて死語で、古語辞典でも引かないとわからないような言葉だ。情緒も古臭く、江戸時代の俳句のようだ。ちょっと、最初から考えなおす必要がありそうだ。

庭を掃除していた方に聞いてみると、紅葉は12月5日頃が見頃ということなので、また、その頃に改めて写真を撮りに来て、俳句にも再挑戦してみたい。

庭の木々
▲紅葉が楽しみな庭の木々



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