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憂鬱な週末

柿の木

柿たわわ踏切の先酒肆あらむ

この週末は、土曜日が雨、日曜日も朝から曇りで、山の紅葉はそろそろ終わる頃だというのに、どこにも出かけられず、家のテレビで東京国際マラソンを見ていた。渋井が失速して、憂鬱な週末。
その前の週末も出かけられなかったので、写真がない。去年の写真を見ていたら、11月17日は、茨城県の花貫渓谷に行っていた。ちょうど紅葉が見頃の感じだが、いい写真がないし、紅葉は俳句にならない。もう出尽くしているのだ。
その前の週末は写真がない。おそらく天気がわるかったのか。さらにその前の週、写真のデータでは10月28日に、千葉の里山に行っている。そう言えば、ぷらっと電車に乗って、適当に電車を降り、山の中を歩きまわっていたことを思い出した。日は短かく、腹も減ってくる。山の中なので食事もできず、とにかく街に出ようと、検討をつけて山を下る。あさ、電車を降りた街とは違う、見たこともない街に出た。踏切があり、そばに大きな柿の木がある。誰も取る人がいないのか、たわわに実っている。
朝から、食事もしないで歩き詰めなので、酒の飲めるところでゆっくりしたい。釣りや山歩きの後の、駅前の居酒屋で飲む一杯、その一時は、こたえられない至福の時なのだ。

踏切
▲柿の木の横にある踏切。踏切を越すと駅に出る。

この街は、おそらく都心への通勤圏内で、新興住宅地になっていると思われるので、一杯飲める店は多いのではないかと思い、探し始めたのだが、居酒屋どころか、コンビニさえない。駅があって大通りもあるのだが、不動産屋とか、自転車屋とかがぱらぱらとあるだけ。酒なんてとんでもない、食事にもありつけなかったことを思い出してしまった。やたらとたわわに実った柿が印象に残っている。

柿たわわさあ食事時山帰り

まずは、ストレートに。いつものことだが、イメージとか状況を言葉にしてみて、俳句世界へのとっかかりにする。そうしないと俳句の世界に入っていけないのだ。

柿たわわ駅前通り酒肆探す

これもストレートで、詩になっていない。状況を説明しているだけだ。「柿たわわ」は、印象深く、どことなく、夕暮れを感じるので残すとして、「駅前通り」はだめだ。「酒肆探す」も説明的だ。

柿たわわ踏切越せば酒恋いし

「踏切」には何か感じる。その踏切を越せば、人がいて、駅があり居酒屋がある。「踏切」という言葉には、そうしたイメージがあるのではないか。人の生活が感じられるのだ。「酒恋いし」は、歌謡曲的なので、ちょっと気取った、先の「酒肆」を使いたい。

柿たわわ踏切あれば酒肆がある

踏切があるのだから、酒を飲ませる店があるはずだ。「あれば、ある」という言葉の遊びを入れてみたのだが、ちょっと軽かった。理屈になっている。

柿たわわ踏切の先酒肆がある

まあ、こんなところか。何もない所から作った割には、それらしくまとまったような気がする。「柿たわわ踏切先の酒肆灯り」とでもすれば、もっと状況がはっきりして、すっきりとするのだが、陳腐になりそうだ。

●11月18日/俳句修正

今日、この俳句を見直してみて、まったく稚拙でつまらなく感じた。問題は「酒肆がある」にある。実際には酒肆はなかったので、意味的にも違うのだが、それはまあいいとして、この散文的断定に違和感があるのだ。

柿たわわ踏切の先酒肆あらむ

この方が意味的にも合っているし、すっきりとなじむ。「柿たわわ」とか「酒肆」という言葉が古いということもあって、ここは文語の方が似合う。全体に古臭くなるのは仕方ないか。




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