<< 石廊崎の初日の出/1-日の出前の石廊崎灯台 | main | 石廊崎の初日の出/3-太陽出現 >>

石廊崎の初日の出/2-初日の出を待つ人々

石廊崎突端で初日を待つ人々

岩に立ち海鵜の如く初日待つ

岩場には、柵のついた通路があり、2〜30人の人が群がっているのだが、そこからだと、人が邪魔になって撮影ができない。ポジションとして一番いいのは、突端の岩の上なのだが、そこはすでに埋まっている。少し後ろにある崖の上で撮影することにした。そこにも10人前後の人がいて、場所がないのだが、斜面の岩の出っ張りに左足を乗せ、右足は、その少し上にある出っ張りに乗せる。左足下がりの非常に苦しい体勢だ。
14ミリから45ミリのズームと70ミリ-300ミリのズームをつけたカメラ2台を首から下げ、手持ちで撮影。感度をISO-1600にしても、シャッタースピードは1/100秒にもならない。手ぶれ防止が付いているとはいえ、望遠側は、完全に手ぶれを起こすがしょうがない。
6時過ぎにその場所で構えているのだが、太陽は出そうでなかなか出てくれない。日の出の時間は6時50分なので、まだまだ間がある。足が疲れて足場を変えたいのだが、足を置き換える場所がない。前方の岩の上の人たちも、ほとんどずっと突っ立ったままだ。
この写真ではよくわからないが、みんなが立っている岩は、水面20メートルはあるかと思える、断崖の上なのだ。その下に、灯りをつけた船が近づいてくる。釣り人を、海に突き出た岩礁に渡す渡船だ。大きな波が来たらすっぽりと隠れてしまいそうな、小さな岩に、二人の釣り人を、非常に巧みなタイミングで下した。
遠くの崖を、望遠レンズで覗いてみると、崖の下の出っ張っている岩場にも、数人の釣り人がいる。回りには奇岩の島も点在し、じっくり構えれば、いい写真が撮れそうだが、今日はこの場所で我慢。

釣り人を乗せた船 崖の下の岩の上の釣り人
▲左:灯りをつけた渡船。右:石廊崎の断崖と岩場に乗った釣り人たち

石廊崎の岩礁 石廊崎突端の岩場
▲左:フォトジェニックな奇岩。右:初日の出に興奮する人々

待っている時間は長い。見渡せるものはすべて写真に撮ってしまって、何もすることがない。よろよろしながらやっと登ってきたので、足ががくがくしている。体勢を変えたい!

足もとのおぼつかなくて初日待つ

自分ではよくわかる俳句なのだが、他人にはおそらく何のことかわからない。この辺が俳句の難しいところだ。
写真の岩には20人近くの人が乗っているようだ。頂上に4〜5人、岩の斜面にへばりつくようにして10数人はいる。海の正面側には、もっと多くの人がいるかもしれない。まるでガラパゴスの海イグアナのように動かない。

初日待ちイグアナのごと岩に立つ

初日とイグアナはおもしろい、と思ったのだが、こうして五七五にすると面白くない。ちぐはぐな感じがする。また、ただシルエットがイグアナに似ているという、状況の説明にしかなっていない。

初日待ち海鵜の如く岩に立つ

イグアナを海鵜に変えてみる。すっきりした感じにはなった。海鵜は、岩の上にすっくと立って身じろぎもしない。どこか孤独感を漂わせ、孤高の鳥という感じだ。そういう意味では、海鵜にたとえるのも悪くはないか。
ただ、すらすら流れてしまって、ひっかかりのないのが気になる。

初日待つ海鵜の如く岩に立ち

「初日待つ」と、一端切ってみた。ところが、「初日待つ海鵜」と、初日を待っている海鵜ともとれる。そこが気に入らない。また、句の前後を入れ替えたのも変だ。
考えてみれば、この句の主眼は、岩に立っていることではなく、ある種荘厳な気持ちで、初日を待っているということだ。そのある種荘厳な気持ちを、ここでは「海鵜の如く」と置き換えている。たまたま岩場に身じろぎもしないで立っている様子が海鵜のように感じたからだ。この句では、この「海鵜の如く」が肝だ。とすれば、「海鵜の如く岩に立ち」はおかしい。状況説明でしかない。

岩に立ち海鵜の如く初日待つ

素直に「海鵜の如く初日待つ」とした。写真がない方が、力が感じられる句だ。「海鵜の如く」とはどういうことか、それを感じるのは読者だ。詠み手は、自分の感性を表現しただけ。と、とりあえず、今は逃げておく。あまりいい句ではない。






コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
                
links
profile
search this site.
others