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南伊豆の正月/3-水仙市

金目鯛の干物

水仙の市に掉さす金目干し

港の中の駐車場横で水仙市をやっていて、そこそこに賑わっている。市といっても水仙の切り花や鉢植え、球根などを無造作に並べて売っているだけ。水仙祭という名目上、水仙を販売しないわけにはいかないのだろうが、水仙はあまり人気がないようだ。よく見ると、水仙よりも横に並べてある干物に人が群がっている。浜の人も例年のことなのでよく分かっているのだろう。水仙市と言いながら、水仙1に対して干物3くらいの割合で店を構えている。
私としては、やはり水仙よりも干物に興味がある。イカやアジ、イワシなどちょうどいい干し加減だ。特に金目鯛の開きはよだれが出そうだ。この場で焼いて酒の肴にしたらさぞかしおいしかろう、などと眺めながらも、禁酒の身、横眼で見ながら通り過ぎるしかない。

水仙の球根 アジの干物
▲左:野水仙の球根。右:ちょうどいい干し加減のアジの干物。

せめて気分だけでも味わおうと写真に収める。我ながらいやしいと思いつつ。さて、せっかく撮ってきたのだから俳句でも付けてみよう。

浜風に水仙市の干物かな

これは私の悪い癖でいつも反省しているのだが、最初はどうも状況説明的なつまらない句になってしまう。まず何か、言葉にして置いてみないと、次の言葉が考えられないのだ。
ということで、ここから始まるわけなのだが、まず、この句の問題点を具体的に上げれば、「水仙市」という言葉が、市場ではなく街の名前のように思えること。「干物かな」ではどうもインパクトがないこと。使われている言葉が名詞と助詞しかないため、余韻が残らないことなど。

水仙の市場賑わす金目干し

「市場賑わす」が工夫したところ。「賑わい金目干し」とか「賑わう金目干し」とした方が、含みがあっていいのだが、あえて直接的に「賑わす金目干し」としたのは、「水仙市」といいながらも、餅は餅屋、やはり主役は干物だったというおかしさを強調するため。しかし、ちょっと説明しすぎた感がある。

水仙の市にあわれや金目干し

なぜか「あわれ」という言葉が浮かんできた。何が「あわれ」かというと、水仙市と言いながらも干物でも売らなければ人が集まらないし儲からない「あわれ」さと、体を無造作に開かれ人目にさらされている金目鯛の「あわれ」さ。こう解説するとそうなのかと納得できるのだが、だからといって、心に響いてくることもない。何が問題か。おそらく頭の中でひねっているだけで、実感が伴わないためと思われる。

水仙の市に掉さす金目干し

なぜ「あわれや」が「掉さす」になったかというと、これもまた、ふと「情に掉させば流される」という例の「草枕」の一節を思い出したため。どうも人間は(私は?)、まったく関係ないことを考えるときでも、現在進行している事柄に強く影響されるもののようだ。あたりまえだが。
「掉さす」を辞書で引いてみると、「調子を合わせて、うまく立ち回る。」とある。なかなかおもしろいではないか?このナンセンスさがおもしろいと思うのは私だけか。

ところで、この句の季語は「水仙」なのだが、「金目干し」はどうなのだろう。「金目鯛」は冬の季語なのだから、「金目干し」も冬の季語になりそうなものだが、こればっかりは決めごとなので、季語辞典になければ季語ではないのだろう。





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