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旅の終わり/1-沼津港のたそがれ

沼津港のたそがれ

冬の海何か終りて始まりぬ

風雅を求めて来たはずの南伊豆の旅が、家族連れとは言え、いつの間にか観光旅行になってしまった。どこか物足りない。妻はもう一泊したいようだが、子供たちはもう飽きたようだ。すぐ仕事が待っている。旅の終わりは、有名な(らしい)、沼津の千本松公園の夕日で締めくくることにした。
浄蓮の滝を出たのが二時過ぎ、沼津港の夕日には充分間に合うはずだった。ところが、沼津に近付くに従って道路が混みだし、正面に富士山が見え始めた頃は、もう夕暮れ近かった。それでもカーナビの到着予想時間を見る限りでは、間に合うことになっていた。それが、沼津市内に入ると渋滞で全く動かなくなり、沼津港が見えてきたときには、もう、夕日が沈みかけていた。
公園の駐車場もいっぱいで、何とか駐車して海際に出た時には、もう日はほとんど沈んでいたのだが、わずかに、まるで蜃気楼のように太陽の切れ端が水平線に残っている。あと10分早ければ、見事な夕日を見ることができたと思うと、ちょっと残念な気もする。
この千本松公園は、海岸は砂浜で、海岸沿いに土手があり遊歩道になっている、その土手の外側には、松の木がたくさん生えていて、公園になっているようだ。土手の上からは、海と富士山を見ることができる。
日は沈んだとはいえ、まだたそがれ時で、周囲は明るい。富士山は絶妙な光り具合で、なかなか趣がある。空も何とも言えない光で、水平線は赤く夕焼け、海は残光できらきらと輝いている。帰ってきたのか出ていくのか、漁船が一艘、水面をきらめかせてゆっくりと横切っていく。空は黒く沈んで、左上方の低い位置に、ちょっと太った三日月というか、月齢5日くらいの月がかかっている。旅の終わりにふさわしい光景だ。

夕映えの富士山 沼津市内の渋滞と富士山
▲左:湯河原あたりの車中から見た富士山。右:渋滞する沼津市内から見た富士山。

沼津港の落日 たそがれの富士山
▲左:車窓から見た沼津港の夕日。右:千本松公園から見たたそがれの富士山。


充たされぬ旅の終わりか冬の海

この、どこか充たされない気持ちをそのまま表現してみた。しかし、この「充たされぬ」がどうもいけないようだ。感覚的なことばというよりは、感情的な言葉になっている。詩になっていないのだ。

残光の中に終えたり冬の旅

これは何を言いたいのだろうか。残光がやがては消えるように、この旅もまもなく終わろうとしている。わびしいことよ。といったところか。なんとつまらない、意味のない俳句か。
今は新年を迎えたばかり、その新年に、思いつきで行き当たりばったりの旅に出て、いま、その旅も終わろうとしている。旅の終わりの舞台は、おあつらえ向きの夕日の海だ。何か感じないわけがない。

正月の終りて何か始まりぬ

旅が終わったということは、私の中では、正月も終わったということ。しかし、終わりは何かの始まりであり、その何かはすでに始まっている。夕日は終わりの象徴であるが、この漁船はその始まりを象徴するイメージだ。
ただ、「正月の終りて」では、あまりにも説明的すぎて余韻がない。

冬の海何か終りて始まりぬ

で、どうだろうか。「何か」というのが、逃げのようでいやなのだが、いろいろ想像できていい、ということも言える。ちょっとずるい俳句だ。





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