冬の暮たゆたふ波のごと脆く
千本松公園の海は、風もなくおだやかに暮れていく。波は緩やかにうねり、波打ち際で脆く崩れる。まだ残る冬の茜が、一時渚を輝かせ、やがて闇が訪れる。闇の訪れとともに旅は終わり、また、日常が始まる。
このまま旅を続けていたい気持ちはあっても、いつまでも逃げているわけにはいかない。日常に帰るしかないのだ。
海暮れて帰るしかなし冬の旅
「帰るしかなし」は、単なる感傷でしかなく、なぜ帰るしかないのか共感できない。うわべの感情ではなく、もっと深い悲しみのようなものを表現できないか。
冬暮れて逃げられもせず帰りなん
これでは、感情がストレートに出すぎていて、かえって引いてしまう。もっとさらっと、さりげなく。
風落ちてしばしたゆたふ冬の海
情景はわかるとしても、句に力がなく常識的。というか、こういう句ならどこにでもある。情緒ではなく、もっと意志を持った言葉で表現したいのだが、かといって感情的にならない感覚的な表現。
冬暮れてたゆたふものの脆さかな
「たゆたふもの」は、「波」とか「心」とかはっきりと表現しないで、曖昧にしておくことで余韻を残そうとしているのだが、そうしたずるい考えが見え見えで、嫌味になっている。「脆さかな」と断定しているのも変だ。
冬暮れてたゆたふ波のごと脆し
どこかちぐはぐで、しかもしゃべり過ぎのように感じるのはなぜか。動詞などを多用し過ぎているからか。
冬の暮たゆたふ波のごと脆く
上五を体言で軽く切って、最後を「脆く」と流して見た。その方がリズムが良く余韻も残るような気がしたからなのだが、どうも思ったようにはいかなかったようだ。これでは、「冬の暮」が「脆い」ととられてもおかしくない。切れが弱いのか、あるいは根本的にダメなのかもしれない。