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真夏の花-2/山百合

山百合の花

山百合の香や少年の黒き肌

真夏の花で思い出すのは山百合の花だ。
今頃の時期に、千葉の里山などを車で走っていると、道の傍らや森の中に、背が高く、白くて大きな花を見ることがある。これが山百合だ。この山百合を見るとなぜかどきどきする。
子供の頃、夏休みになると毎日、六尺ふんどし一つで川に遊びに行っていた。家の裏の竹藪を抜け、田んぼのあぜ道を抜けると、5〜6分で、赤川と言う、山形県では最上川の次に大きな川に出ることができる。
その川に出る道の途中、竹藪を抜けるところに、毎年、4〜5本の山百合が咲いていた。藪の中の細い道に覆いかぶさるように垂れ下がっていて、道をふさいでいたので、そこをすり抜ける時に、必ず手や腹に花粉が付く。川に着いてから洗い流すのだが、それでもいつまでもそのきつい匂いが取れなかった。

林の中の山百合 群生する山百合
▲これは、数年前、千葉の里山で見かけた山百合。森の中に群生しており、それが気の間から洩れてくる日の光に照らされて、輝いている様子は、非常に印象的だった。

この写真は、先日、葛西臨海公園に行った時に、思いがけず藪の中で出会った山百合の花。こんなところに山百合があるとは思わなかったので、ちょっと驚いて撮影したものだ。
山百合と言えば、まず、その花の大きさに驚かされるのだが、私にとっては、花よりもそのきつい匂いの方が記憶に残っている。
この時も、花は遠くの藪の木の陰にあって匂ってくるはずもないのだが、花を見たとたん、花の香りがしてきて、子供の頃の夏休みを思い出していた。

山百合や少年の我立ちすくむ

「少年の我」というのは、子供の頃を思い出し、その頃に戻った自分、ということ。「立ちすくむ」と言うのは、花に出会った驚きと、突然子供に戻ってしまった自分への驚きを表現したもの。「立ちすくむ」は、大げさで嫌味かもしれない。

山百合の香や少年の我此処に

「山百合の香」としてわかりやすくなったが、「少年の我此処に」は、説明し過ぎ。つまらなくなった。

山百合の香や少年の手に残る

ちょっとストーリーを感じさせて、いい感じになってきた。ただ、この少年は、弱弱しい感じの少年で、イメージとはちょっと違う。

山百合の香や少年の黒き肌

「山百合の香」という、微妙なものに、「黒き肌」という現実的な生々しいものを持ってきたところが、今までになく斬新。
解釈によっては危ない感じがしないでもないが、名詞と助詞だけのちょっと突き放した、クールな表現が成功している。かどうか・・・





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