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俳句について(1)俳句とは何か-3

さんま

煙り立ち叢雲騒ぐ秋刀魚かな

突然日が陰ったので、空を見ると、さんまの煙の様なまっ黒な雲が、太陽に群がっています。
「月に叢雲」ならぬ「太陽に叢雲」。
そうだ、今日は秋刀魚にしよう。

◆  ◆  ◆

「(1)俳句とは何か」の続きです。

●俳句と川柳・標語・ことわざなどとの違い

比較的わかりやすいのは、標語やことわざなどとの違いです。
「飛び出すな車は急に止まれない」には、強いメッセージがあります。
人に何かを伝えるためのメッセージを、調子がよく覚えやすい五七五のリズムに乗せて発しているのです。
ことわざや名言も同じです。調子こそ五七五ですが、理屈や説明、主張であって、詩を作ろうとしているのではないのです。
俳句はどうかと言うと、「「古池や蛙飛び込む水の音」には、メッセージも理屈もありません。ただ状況をポンと投げ出しただけです。
「これが何なの、どうしたっていうの」と言う感じですが、これはまぎれもない詩で、最初から詩を作ることを目的として作ったものです。
俳句に非常によく似たものに、川柳があります。
 
役人の子はにぎにぎをよく覚え

といったものは、世の中を鋭く風刺した面白さがあって、すぐに川柳とわかりますが、
 
寝ていても団扇の動く親心

といった川柳は、季語などもちゃんと入っていて、俳句と言われても、そうかいい俳句だ、と思ってしまうかもしれません。どこが俳句でどこが川柳なのか、その違いがさっぱりわかりませんね。
ところが、注意深く見れば、これは俳句ではなく、川柳であるということがわかります。
芭蕉の「古池や」は、自然をたんたんと詠っていますが、「寝ていても」は、人情や機微を詠っています。
もともと、俳句と川柳の出所は一緒なので、似ているのですが、俳句が、自然を相手に自分の内側へ向かっていったのに対し、川柳は、社会性を持ち、人に積極的に関わっていったものです。
いま、私が思う俳句と川柳の違いを、反論を承知で、あえてまとめて見ると、

・俳句は抒情詩、川柳は叙事詩である。
・俳句は主観的、川柳は傍観者的。
・俳句は内へ内へと向かうが、川柳は外へ外へと向かう。
・俳句は精神性を重視し、時には抽象的で意味を持たないもの、川柳は常に社会とかかわりを持ち、理知的で、時には社会を皮肉り、笑い飛ばすこともある。

といったところでしょうか。

●俳句とは何か

俳句の定義は、辞書で調べました。
しかし、それだけでは俳句の魅力に触れたことにはなりません。俳句とは何かの答えにはなっていないようです。
特に川柳とは、遠い親戚関係にあるため、下手をすれば川柳に紛れ込んでいってしまいます。
ここで、俳句が川柳にならないために、私なりに、俳句とは何かをはっきりさせて見ました。
ただし、これは、現時点で考えていることであって、あとで変わる可能性は大いにあります。なにせ俳句と同じで、私の気持ちは気まぐれで流動的ですから。
 
「俳句とは、自然との対話を通して、自分の存在を確認するもの」
そして、その自然との対話の言語として、
「五七五の17文字の定型詩」
を用い、饒舌になりすぎて自分を見失わないように戒める。

これが、現時点での答えです。

主体となるのは、社会でも人でもなく、自然と自分です。
社会や人が絡むと、生々しい現実と向き合わなければなりませんが、自然は大らかでいつも変わらず、何も要求してきません。
自然に向き合うことによって、自分が自然の一員であることを実感します。
自然に対する畏怖の心を持ちながら、自然と対話することで、自分が生きていることを確認するのです。
もはや五七五の17文字で表現することや、季語、切れ字などといった俳句の約束事など、さほど問題ではないようにさえ思えますが、それはそれ、何でも自由にしてしまったら、俳句と呼ぶ意味さえなくなってしまいます。
「17文字の定型詩」という、何も言えない厳しい制約の中で、自然と対話をすることに意義を求めます。 <続く>

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