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俳句について(2)現代俳句の本質-2

蓼の花

前略のインク滲んで蓼の花

昨日の夜、なんとなく浮かんだ句で、写真は後付けです。
「滲」と「蓼」の字がどことなく似ていておもしろいと思いました。
頭の中で作った句なので、どこかに類想・類句がありそうです。

◆  ◆  ◆

「(2)現代俳句の本質」を踏まえ、実際に私が写真俳句を作ったときの思考の変化を再現してみます。

●ケーススタディ

「アイデア・エスプリ・レトリック」。私は最近は、この言葉を頭において俳句を作ることにしています。
俳句は、特に写真俳句は、手拍子でぽっと出てくることがあります。そのときはいいものができたような気がするものですが、そんな時、私は、「アイデア・エスプリ・レトリック」を思い出し、推敲することにしています。
そうするとほとんど落第で、直しているうちにどんどんわけのわからない句になっていってしまいます。
例えば下の様な写真俳句があります。

鉄条網 自由への抜け道
▲左:(1)「秋茜切られしままの鉄条網」  右:(2)「自由への抜け道猫と赤まんま」


最初にパッと出てきた俳句は、

秋茜切られしままの鉄条網 ----(1)

でした。
しかし、これは、「秋茜」と「鉄条網」の組み合わせは当たり前で、写真にあまりにも似合いすぎているなど、アイデアがありません。
また、上五が漢字の体言で、下五も漢字の体言止めというところが、レトリック的に気に入りません。
それで、

赤のまま切られたままの鉄条網

と変え、写真も、もっとシンプルで象徴的な(2)の写真に変えてみました。
これはそれほど悪くない俳句だとは思っています。
「赤のまま」と「鉄条網」の組み合わせには、やさしさと強さ、自由と規制といった対比があり、意外性としてのアイデアがあります。また、ちょっとしゃれっ気のあるエスプリも感じます。
「赤のまま」と「まま」の語呂合わせも、わざとらしいところはありますが、まあ、レトリックとして悪くはありません。
ただ、大きな不満は、俳句の発想(アイデア)が写真に引っ張られて、写真を説明するような俳句になってしまったことです。
切れた鉄条網は写真で象徴的に表現しているので、言わなくてもわかります。むしろ、切れた鉄条網から導き出される何か別の世界を表現する必要がありそうです。
そこで、

赤のまま猫と釣り人通る穴

としてみました。
「猫」を先にするか「釣り人」を先にするかなどさんざん悩んだのですが、実は、そんなことはどうでもいいことでした。
ここでの最大の欠点は、主役が三人もいて、焦点がぼやけてしまったことです。
写真の鉄条網がまったく生きてきません。
そこで、少し時間をおいてから、もう一度挑戦してみました。
 
自由への抜け道猫と赤まんま-----(2)

これが、ようやくたどり着いた句ですが、いじりにいじって、とうとう何だかわけのわからないものになってしまいました。
こうなるともう俳句というよりは、独りよがりの断章です。
何でも言いたくなって詰め込みすぎたのです。
これも推敲の結果です。結果は悪くなったとしても、それはそれほど問題ではありません。私にとっては推敲することこそが重要だとも言えるのです。
とはいえ、実は自分では、それほど悪い句だとは思っていません。
ちなみに説明すると、「自由への抜け道」と言う言葉は、切られている鉄条網からひらめいた「アイデア」です。(平凡ですが)
「猫」と「赤まんま」は自由の象徴であり、その取り合わせには、どこか「エスプリ」が匂います。
というように、説明などと言うのは、どうにでもなるのです。
けなすことも褒めることも自由自在、特になんだかよくわからないものは……。 <続く>



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