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俳句について(3)なぜ俳句なのか-3

ペットボトル

赤まんまペットボトルに挿したまま

海岸を散歩していたら、波打ち際にこんなものを見つけ、子供のころを思い出してしまいました。
家の前のサラサラ流れる小川の縁で、よく野草を相手に遊んだものです。 
今はペットボトルなどで遊んでるようですが、昔は牛乳瓶とか、ラムネのビン、缶詰の空き缶、ビールのふたなどがなどがおもちゃでした。
一時間ほどして戻ってきたら、潮が満ちてきていて、赤まんまは、見ている前で波にさらわれてしまいました。

◆  ◆  ◆

●俳句の魅力

さて、本題に移りましょう。
私は、ほとんど何の役にも立たないと思われる俳句を、なぜ作ろうとするのでしょうか。俳句を作る意味は、どこにあるのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、俳句には、作ろうとするだけの魅力がある、魅力的だから作りたくなる、ということになります。
俳句の魅力とは何かといえば、それは人によっていろいろでしょうが、私は、答えのないパズルの魅力ではないかと思っています。
俳句は作ろうと思えば誰でも作れます。子供でも作れますね。子供の作った俳句を見るとびっくりさせられることも多くあります。
しかし、難しく作ろうと思うと、これほど難しいものはありません。 やさしく作るか、難しくするか、そのハードルは、自分で操作することができるのです。
自分は出題者であり、作者であり、先生であり、批評家です。答えなど元々ないのですから、評価などどうにでもなります。できたといえばできたのであり、できないといえばできない。ここが答えのないパズルだということです。
俳句は、文字数をわざと17文字という、何も言えない文字数に制限してしまいました。それは、答えを出させないためとしか思えません。
五七五七七であれば、五七五で問題を提起して七七で応えることができますが、五七五だけでは問題を提起するだけで精一杯です。あとは読み手にまかせるほかありません。
答えのないパズルの、そのあいまいさ、いい加減さが、私にとっての俳句の魅力なのです。
おそらく、私は、俳句をやさしく楽しいものだと考えていたと思います。そしてしばらくはそれでもよかったのです。そのままいけば、俳句とはこんなものだ、と納得してしまい、それきりで終わってしまったかもしれません。おそらくそうなっていたでしょう。
ところが、なぜか、俳句に疑問を感じてしまいました。
俳句ってこんなもの?これでいいの?と。いわば、俳句のハードル、難易度を上げてしまったわけです。
パズルが好きな人はわかると思いますが、簡単なパズルはあまり面白くありません。難しくなればなるほど、面白くなり、夢中になります。そして解けた時の快感は、その難易度に比例するのです。
俳句にのめりこむプロセスは、まさに、パズルやゲームにのめりこむプロセスと同じといえます。
パズルと違い、答えがない分、奥が深く底なしになります。<続く>



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