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俳句について(3)なぜ俳句なのか-4



秋刀魚鯖茄子松茸新酒かな

久しぶりにNHKのカシャッと一句フォト五七五に投稿した中の一つで、テーマは「太る」でした。
アイデアとしては、太っていることを気にしない布袋さんの写真で、季語になっている秋の味覚を並べ、おいしいものをたくさん食べよう、ということだったのですが、類想・類句は多いので、その中で独自性を持つことは難しく、この句はあまりいいできではありません。
まあ、こんなものも作ってみたということで……。

◆  ◆  ◆

●俳句の目的

俳句をなぜ作るか。こう考えてみましょう。
普通、一般的には、人が何かものを作る時、それは、何らかの目的があるから作ろうとします。それと同じで、俳句を作ろうと思うのは、何か目的があるからそう思うのでしょう。
それでは、俳句の目的は何でしょう。暇つぶしでしょうか。自己満足でしょうか。他人を喜ばせることでしょうか。
私は絵を描いています(というか描いていました)。絵を描くことが好きで好きでたまらない時もありました。また、絵を鑑賞するのも好きです。絵を鑑賞しながら、こんな絵を描きたいと思っていました。
これは、俳句を作ることと非常に似ています。
絵や俳句は、鑑賞して、共感して、自分で作ることができます。感覚の世界です。機能などは要求されません。ただ表現するだけですから、意味さえ求められないものです。
私が写真俳句を作る時は、まず写真を撮るところから始めます。
そのときは、俳句のことはまったく念頭にありません。私の写真は、自然を撮ることが多いので、自ずと自然に向き合うことになります。自然に向き合い、何かを感じた瞬間を写真にするわけです。
それで、家に帰ってすぐ、自分の撮った写真を見ます。何を感じてこの写真を撮ったのか、シャッターを押した瞬間を思い出しながら、そこから何かが生まれてくるのを待ちます。
その時私は、感情の赴くままに、あるいは無心にその写真と対峙しています。世の中の雑事はすべて頭から離れ、時間は止まっています。
つまり、自分と向き合っています。人への気兼ねも、おもねりも、打算も何もない、純粋な自分と向き合っているはずです。
自分と向き合い、自分と対話する。正確にいえば自分と写真(自然)が対話しているのです。
俳句を先に作ることができないのは、そこに対話する相手がいないからです。
もちろん、自然の中にいてじっと向き合っていれば作れないこともないと思うのですが、それでは、行動半径が限られ、対話の世界が狭くなってしまいます。
写真に撮っておけば、空いた時間にいつでも、“その時”にタイムスリップできます。
 自分でも知らない自分を見つける、もっと大げさにいえば、人間の根源、悪とか善という概念が生まれる前の、生きているということそのものを認識する、自然の中での自分の存在意義を確認する、それこそが、絵を描き、俳句を作る目的であると思います。

私にとって、俳句を作ることは、絵を描くことと同じなのです。<続く>



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