<< 俳句について(3)なぜ俳句なのか-4 | main | 俳句について(4)類想・類句について-1 >>

俳句について(3)なぜ俳句なのか-5

コスモスが枯れました

何も無い庭コスモスも枯れました

海へ出る途中に、放ったらかしの庭があり、草ぼうぼう。
最近まで、その雑草の中にコスモスが3〜4株咲いていたのですが、昨日通りかかったら、そのコスモスもたった一輪を残して枯れていました。
俳句は、ちょっと自由律風に作ってみました。その方がコスモスの可憐な感じが出るような気がして。

◆  ◆  ◆

●俳句と社会性

ここで言う社会性と言うのは、社会や日常生活、人情などを俳句にするということではなく、俳句が社会とどうかかわるかという話です。
絵でも俳句でも、自分だけのもではありません。積極的であれ消極的であれ、どこかで人の目に触れます。ほとんどは、人の目に触れることを前提にして作られるものです。
人の目に触れることによって、そこに社会性が出てきます。自分だけのものではなくなるわけです。
俳句の目的が自分との対話であり、生きていることの認識にあるとすれば、社会とのかかわりという、そこにひとつのジレンマが生じるように思います。独りよがりの俳句はだめだと言われる所以もそこにあるわけです。
その社会性との矛盾をどう説明するのでしょうか。

答えはおそらくこうです。

俳句を作る行為、というか思索が純粋であればあるほど、その作品は、その純粋さゆえに強い社会性を持つ。社会に強い影響を与えることができる、ということにならないでしょうか。
俳句に社会性を持たせるために、誰にでもわかる俳句を作るのではなく、純なる自分に向き合って苦しみながらつくることによって、最終的にその純なる自分が、その作品に納得することによって、それは優れた社会性を持つ俳句になる、ということではないかと思います。
自分が納得しないものが社会に強い影響力を持つ、ということがもしあるとすれば、それはどこかでゆがめられた社会性です。
抽象的な言い方しかできなくて、説明が難しいのですが、月並みなものを作るな、俳句らしい俳句を作るな、誰にでもわかる俳句を作るな、などとよく言われるのは、このことを証明しているように思います。
混乱しているのでまとめてみます。

●なぜ俳句を作るか=答えの出ないいい加減さ、底の深さに魅力を感じるから
●俳句を作る意味(目的)=純粋さと向き合い、自分が生きているということを認識・確認すること
●俳句の社会性とは=創作の純粋さ。純粋であればあるほど、社会に強い影響力を持つ

あらかたこんなところでしょうか。 <続く>



コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
                
links
profile
search this site.
others