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俳句について(6)季語を考える-1

生存率

生存率四年目の秋あと少し

癌の治療を始めてから、ちょうど三年経ち、四年目に入るところです。
五年生存率と言うのがあって、五年間に同じ癌で死なない確率なのだそうです。
私の場合は70%ということで、少しは安心。
もう二年間の間に再発しなければ、その癌は治ったということになるようです。
あと少しです。

◆  ◆  ◆

季語を考える
(2011年10月18日)

●おかしな俳句の題

先日、NHK俳句のサイトを見ていたら、読者投稿のページに、「牡丹焚火」という題が出されていました。
聞きなれない言葉なので、歳時記で調べてみると、ちゃんとした冬の季語なのです。福島の須賀川牡丹園で行われる、牡丹の供養のための行事のようです。
このことを知っている人は、何人いるのでしょうか。少なくとも私は知りませんでした。
地方の行事や風習、めずらしい風物などを俳句に詠むことはよくあることですが、季語にまでなっているものはそれほど多くありません。「牡丹焚火」が季語として認知されるためには、よほど大きな行事で、しかも、多くの人が知っていなければならないのではないでしょうか。
須賀川牡丹園を調べてみると、「全国の牡丹園で唯一の国指定名勝である」と書かれていました。
これを見ると、牡丹愛好家や俳句の好きな人には、この「牡丹焚火」という言葉は知られているのかもしれません。
「牡丹焚火」とか「牡丹焚く」などと言う言葉は、確かにちょっと情趣があって、俳句にして見たい言葉かもしれませんが、季語になっていると言うのはどうでしょうか。
百歩譲って、これが冬の季語であることは認めるとしても、それを題にするというのは行き過ぎだと思います。
例えば私が、「牡丹焚火」という題で俳句を作れるでしょうか。歳時記を調べてやっとわかったぐらいですから、当然見たことはないわけです。見たこともないものを俳句に詠むなどと言うことは不可能です。
たまたま、俳句をかじったことのある人には馴染みのある俳人の原石鼎が、この「牡丹焚火」を季語にして20句ほど作ったために、季語になったということらしいのですが、そんな安易に季語を作られては、季語ってなんだ、ということになりかねません。
俳句の投稿を楽しみにしている人は、すべて素人で、趣味の域を超えるものではありません。
「牡丹焚火」という言葉は知っていたとしても、見たことがある人は何人いるでしょうか。
勘ぐれば、福島がいま話題になっているので、安易に福島の行事で季語になっているものを題にした、ということも考えられなくもありません。
言葉も文化も考え方もどんどん変わっていく時代に、季語を題にして俳句を募集するとか、句会を開くなどといったことはやめた方がいいように思います。
自ら、俳句を貶めているようなものです。
もっと広がりのあるテーマを題にするとか、あるいはまったくフリーにすべきでしょう。
つまらない、死んでしまった季語を題にして募集などしていたら、何万、何百万の駄句を量産するばかりで、俳句の未来にとって何の役にも立ちません。せっかくの才能も摘み取られてしまいます。

こういうことがあると、私は季語不要論に加担したくなりますが、実際は、季語は、表現上かなり重要なパーツでありシステムであると考えています。
日本語がどんどん変わっていく時代だからこそ、季語が重要になるということを書こうと思っていたのですが、書き出しから興奮してしまって、支離滅裂になってしまいました。この続きはまた明日。(続く)

PS. 明日は終日外出なので、原稿作りは無理でした。続きは後日ということで。



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