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俳句について(8)仮名遣いを考える

木々輝く

行く秋の木々自づから輝きぬ

久しぶりに近くの公園を散歩したら、この辺でももうちらほら紅葉が始まったようです。
木々が逆光に透けて、金色に輝いています。

◆  ◆  ◆

仮名遣いを考える-1
(2011年10月26日)

●文語体か口語体か

俳句を作る時にいつも迷うのは、文語体で作るか口語体で作るかということです。
私の場合は自然に出てくる言葉は文語体が多いようです。現代の俳句よりも芭蕉など、昔の俳句により多く接しているということもあるかもしれません。
ところが、現在出版されている俳句の本を見ると、現代の俳句でも文語体で書かれた俳句が7〜8割はあるようです。
どうしてなのでしょうか。
短歌の世界からは、すでに文語体は消えたように見えますが、俳句はまだまだ文語体が多いのは、一つには、文字数が短歌よりも極端に少ない、といことに関係しているかもしれません。
文語体は口語体に比べると言葉の歯切れがよく、短い文章に適しているようです。
また、俳句の結社によっては、口語体の俳句を禁止している結社も多いようなので、それも、文語体が多くなる理由の一つでしょう。
しかし、現在、俳句を除けば文語体で書かれたものは、皆無に等しいのではないでしょうか。
俳句だけ文語体というのも奇異な感じがします。
特に、戦後に生まれた人たちは、文語体の教育はほとんどなされなかったので、文語文法や仮名遣いなどは大の苦手で、俳句は文語体でなければならないなどと言われると、困ってしまうでしょう。
現実に、本などに載っているプロの俳人が書いた俳句にさえ、ちょっとおかしいのでは、と思われる文語体を見つけることもあります。
俳句の仮名遣いは、文語体か口語体かによって変わってきます。
例えば文語体で書かれた俳句に現代仮名遣いが使われていたのでは、ちょっと違和感があります。逆に、口語体で書かれているのに、仮名遣いが旧仮名遣いの場合はもっとおかしく感じます(そんなことはあまりありませんが)。
やはり、文語体には旧仮名遣いを、口語体には現代仮名遣いを使うのが自然です。
ところが、この旧仮名遣いというのが非常に難しいのです。
何かの本を読んでいたら、あの芭蕉でさえ、仮名遣いを間違えていた、というようなことが書かれていました。それほど難しいということです。
 
例えば、現代の「わいうえお」が「はひふへほ」になりそうだ、というのは大体想像付きますが、「ぢ」か「じ」か、「づ」か「ず」か、あるいは「い」か「ゐ」か、「お」か「を」か、「え」か「ゑ」かといったようなことは、辞書を引かなければまったくわかりません。辞書を引いてもわからない場合があります。
「かい」か「くあい」か、「ちょう」か「てふ」かなどは、判じ物のようで、昔の人の発音を知らなければ分からないことも多いのです。
その辺は、私が集めている方言とそっくりで、使用できる文字が制限され、発音を表記する文字がなくなってしまうと、その発音さえ新しい文字に合わせるように変化してしまい、昔の発音は消えてしまいます。
この話をすると、延々と終らなくなってしまうので、後回しにすることにして、その他にも、動詞の活用や音便化など、文語体には難しいことが山ほどあり、いつも悩まされます。
それでは、すべて口語体で書けばいいじゃないかと思い、そうする場合もあるのですが、時には文語体で書いた方がいい場合もあるのです。
結果として、文語体なのに仮名遣いは現代仮名遣い、という俳句が量産されることになります。
気付いていて、意識的に現代仮名遣いを使っているのであれば、まだいいのですが、まったく気付かないこともあるので厄介です。

その辺の対応をどうするか、それはまた明日。(続く)



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