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俳句について(9)詩心と詩語

十月桜

大奥跡十月桜心寂し 

写真がなくて、俳句も作れなくなってきました。
これは、昨日作ってボツにしたもの。皇居東御苑の江戸城大奥跡の十月桜です。
この時期、この大奥跡辺りは、群生していたホオズキも枯れ始め、ノコンギクやヨメナなどの野菊も、どこか雑然として寂しげです。

◆  ◆  ◆

詩心と詩語(2011年10月28日)

俳句は詩である、ということはどこにでも書いてあるし、また私もそう思っています。
俳句を作る上でのチェックポイントは、「アイデア・エスプリ・レトリック」だと、以前、このブログにも書き、「エスプリ」をあえて翻訳すれば「詩心」だと言いました。
詩心を辞書で引いてみると「感じた事柄を詩に作りたいという気持ち」とあります。
確かにそうなのですが、これでは、辞書を引くまでもありません。
第一、「詩心」を説明するのに「詩」という言葉を使ってしまっては、説明したことにならないような気がします。
なので、「詩」をやはり辞書で引いてみます。
「文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの」と出てきました。
「詩心」を私なりにまとめて見ると、「ある事柄(自然でも、人でも、物でも、出来事でもいいのですが)に興味を持ち(感応し)、感動した、あるいは感動しようとする気持ちを、リズミカルな言葉で表現したいと思うこと」でしょうか。
「詩語」は、「詩心」を表現する言葉ということになります。
いずれにしても「詩心」も「詩語」も抽象的で曖昧な言葉です。そこでもう少し、具体的な例をあげながら考えてみたいと思います。
 
何かに興味を持ったり感動したりすることは誰でも出来ます。しかし、興味を持ち感動するだけでは、「詩心」があるとか、「詩心」を持っているということにはなりません。
それを「詩」にしたいと思う気持ちが無ければ、「詩心」とは言わないのです。
「詩心」を理解するためには、「詩」とは何かを知る必要があるようです。
 
と、ここまで書いて、このテーマは一筋縄ではいかないということに、ようやく気が付きました。
最初は、例えば、「好きだから好きと言う、とか、きれいだと感じたからきれいと言う、といったことは、ごく常識的な感情であり、それを詩心とは言わない。」、また、「星だの菫だの、きれいな言葉を並べても、それを詩語とは言わない。」と言うようなことを書こうと思ったのです。
ところが、それを説明するためには、もっと、詩と言うものを根本から考えないとうまく説明できないのです。だらだらと非常に長い説明になってしまいそうです。

ということで、しっかり、考えをまとめてから、改めて挑戦しようと思います。
 「俳句について」は、とりあえずこれで一旦終了。考える時間が必要なので、しばらくお休みにします。



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