夏の海辺の鳥-1/シギの親子

シギの親子

静謐の時に落ちたり夏深む

葛西臨海公園には、野鳥園というのがあって、干潟に来る野鳥を観察所から観察することができる。
この時期は、カモメも海猫もいないので、少しさびしいが、それでもアオサギやコサギ、カワウ、カルガモなどを見ることができる。
この時は、珍しく、数羽のセイタカシギを見ることができた。このメインの写真のシギは、体の大きさの違いから見て、どうも親子のようだ。この干潟のどこかで孵化したのかもしれない。
ちょっと気になるのは、シギの足に、識別用の鑑札が付いていないところ。他のシギの足には付いているので、この親子は、今年初めてここに飛んできたのかもしれない。谷津干潟でも感じるのだが、このセイタカシギは最近増えてきたような気がする。

野鳥園の干潟 餌を漁るシギ
▲左:シギのいる干潟。ここのエリアは谷津干潟と違い、周囲が木で囲われていて、干潟に近付くことができず、指定された観察所からしか観察することができないため、運が良ければ、いろいろな鳥を見ることができる。右:餌を漁っているセイタカシギ。

シギ親子アップ シギの鑑札アップ
▲左:セイタカシギの親子(たぶん)。よく見ると。生態観察用の鑑札が付いていない。右は少し離れた場所にいたセイタカシギ。こちらは、足にちゃんと鑑札が付いている。

この写真は、野鳥園の北側の観察所から撮影したもの。休日だというのに人は誰もいなくて、静かなひと時を過ごすことができた。特に、このまるで作りもののような、一本足のセイタカシギを見ていると時間を忘れてしまう。

静謐の時に身を置く晩夏かな

「静謐」と言う言葉が自然と出てきた。もう、イメージはこれで行こうと決め、季語をどうするか考える。まだ梅雨が明けたばかりなのだが、暦の上では晩夏だ。「静謐」と「晩夏」の響きは悪くない。「身を置く」というのは、どうも陳腐だ。

静謐の時の束の間はや晩夏

いま、静謐の中に自分がいる。自然と同化している時間、しかし、それは束の間でしかない。時はどんどん流れて、もはや夏も終わろうとしている。といった句意。「束の間」と表現したところがミソだが、「束の間」で強く切っているのに、また「晩夏」という強い言葉で切れるのはどうも気持ち悪い。

静謐の時束の間にはや晩夏

「束の間に」と連用形で軽く切ってみた。まあまあか。ちょっと硬いか。時が「束の間に」というのも説明的に感じられる。
また、こうして文字にして見ると、「静謐」とか「晩夏」といった漢語が強すぎて硬い感じを与えるようだ。

静謐の時に落ちたり夏深む

「落ちたり」は、自分が静謐な自然の中に入り込んでいる状態を表現したものだ。「夏深む」は「晩夏」と同じ意味で使っているが、やわらかい表現にして、微妙なニュアンスを込めて見た。
ちょっとわかりにくくなったのと、どこか理屈っぽいところがいま一つ。






夏の海辺の花-4/撫子の花

ナデシコの花

撫子や消え去りしもの消えしまま

このカワラナデシコは、海辺の花と言うわけではないが、葛西水族館の中にある、自然観察用に作った小川の河原に咲いていたので、取り上げて見た。
この小川は、メダカや蛙などを観察するために作ったものらしいのだが、まったく人工的な感じがしない。昔の、まだドジョウやフナが泳いでいた頃の小川を思わせる。
昭和30年代の終わりごろから、昭和40年代初めにかけて、川から突然、ドジョウもフナもナマズも、蛙やイモリやアメンボや、タニシやホタルや・・・何もかも消えてしまった。強い農薬のせいだ。
その後、農業は、効率化のために大型機械を導入、中小の河川は道路に変わり、田んぼの用水路は、コンクリートで固められた。農薬などは見直され、今はドジョウなども少しずつ戻ってきているという。
しかし、一度失われたものは、同じ形では戻ってこない。この人工の小川のように、いくら昔に戻したとは言え、人工は人工にすぎない。

人口の小川 水辺に群生するハンゲショウ
▲左:ちょっと流れに勢いがないが、人工の川とは思えない田舎の風情がある。右:水の中に群生するハンゲショウ。こうした光景はなかなか見ることができない。

水辺のミソハギ 岸辺のヤブカンゾウ
▲左:さらさらと流れる小川。水辺にはミソハギやガマ、オカトラノオなども咲いていた。右:河原の湿地に咲くヤブカンゾウの花。この少し下流の河原には石の間からカワラナデシコが咲いていた。

これは、本来あるべき自然の姿であり、実際、それほど遠くない昔(といっても、もう50年近く経ってしまったが)、こうした自然はあったのだ。なぜ、消えてしまったのか。他人事とは思えない、忸怩たる思いがある。

撫子や消え行くものは美しき

石田波郷の有名な俳句に「雁やのこるものみな美しき」という句がある。この句は、私も何かを感じるのだが、しかしどこか違うような気がしていた。いま、なんとなく出てきた自分の句を見て、はたと気がついた。「のこるものみな美しき」と言うのは何だろうか。
これは、波郷が出征するときに作ったものらしいが、どうも納得がいかない。残るものよりも消え去るものの方が美しいのではないだろうか。滅びの美学といった言葉もある。
それはともかく、「美しき」はだめだ。パロディだとしても使えない。

撫子や消え行くものの懐かしき

「懐かしき」と言ってしまっては、元も子もない。それだけのことになってしまう。

撫子や消え去りしもの消えしまま

この方が含みがある。消え去ったものは、自然であり、自分の記憶でもある。それは決して戻ってくるものではない。といったところだ。





夏の海辺の花-3/浜木綿(はまゆう)の花

ハマユウのアップ

浜木綿の夕べかほりて潮騒ぐ


ハマユウは温暖な海浜に咲く花で、海岸近くの公園などでもよく見かける。太い茎に20個前後の花弁の細い、白くて大きな花をつける。ヒガンバナを白く大きくしたようなイメージだ。
花は、最初は苞に包まれているが、やがて苞が割れて垂れ下り、20個前後の蕾が現れる。この蕾が一斉に開くわけではなく、外側から順番に咲いては枯れていくので、見た目、あまりきれいには見えない。
それでも、夕方になると強い香りを発して、蛾などを呼び寄せるようだ。

ハマユウの苞 開きはじめた苞
▲左:太い茎の先の苞。この中にたくさんの花の蕾がおさまっている。右:苞が開きはじめ、蕾が現れてきたところ。

ハマユウの蕾 ハマユウの花
▲左:苞が垂れ下り、花を咲かせる準備が整った。右:ハマユウの花。一つ一つは優雅できれいなのだが、枯れた花が周りにまとわりついているので、遠目にはあまりきれいに見えない。

インドハマユウのアップ インドハマユウの花
▲ハマユウの仲間のインドハマユウの花。一見ユリ科の花に似ているが、蕾や花の付き方を見るとヒガンバナ科の植物であることがわかる。花が咲くまでは、ハマユウかインドハマユウか、ほとんど区別がつかない。こちらは花弁が広いため、ハマユウに比べると、派手な感じがする。

ハマユウは、花も優雅で美しいが、個人的には言葉の響きが好きだ。「浜木綿」と漢字で書いてもどことなく詩的な感じがする。

浜木綿の白々かほる夕べかな

「白々かほる」が工夫したところだが、おとなし過ぎて平凡だ。これでは作る意味があまりない。

浜木綿や夕べのかほり海の音

香りだけでは短調なので、演出として海の波の音を入れて見た。言葉が平板で工夫が足りない。

浜木綿や夕べかほれば海の鳴る

ちょっとそれらしくなってきたけど、古臭いか?

浜木綿の夕べかほりて潮騒ぐ

う〜ん、もう一つ古い。発見もない。保留。





夏の海辺の花-2/熱砂の浜栲(はまごう)

ハマゴウの青い花

見よ青き花あり熱砂這ひ回る

この「浜栲(はまごう)」と言う花は、なかなか出合えない花だ。30年近く前、千葉市の公園の中にある植物園のようなところで、確か千葉県の花とかいうコーナーに数本咲いていたのを見たのが、私がこの花に出会った最初だった。
その上品な花の姿が忘れられず、千葉の海岸をずっと探していたのだが、数年前、何のことはない、すぐ近くの、この葛西臨海公園の浜辺に群生しているのを見つけたのだった。
おそらく、このハマゴウは、自生ではなく栽培しているものだと思うが、それにしても、これだけ群生していると見事というしかない。
この時は、まだ花が咲き始めたばかりで、一分咲きといった感じだが、八月から九月の上旬頃まで咲いていて、長い期間楽しませてくれる花だ。

横から見たハマゴウ ハマゴウのアップ
▲左:上に向かって花穂を伸ばし、十数個の花を付ける。同時に咲くことはなく、大体下から順番に咲いていくようだ。これがいつまでも花を楽しめる理由だ。右:花のアップ。雄蕊も雌蕊も外に大きくはみ出している。

上品で端正な佇まい 群生するハマゴウ
▲左:葉はどことなくかわいい楕円形で対生している。葉の裏が白い毛でおおわれていることもあって、どことなく上品な感じがする。青紫の花の色との対比が可憐な感じを与える。

このハマゴウ、一見草に見えるが、実はれっきとした木本だ。過酷な自然条件である海岸の砂地に生息するため、幹はほとんど砂に隠れるように横に伸び、そこから枝を砂を這うようにして海に向かって長く広げ、さらに二十センチほどの枝を垂直にたち上げて葉と花を付けるのだ。こうした植物の知恵にはいつも驚かされる。

這い上がる浜栲(はまごう)夏の風を読む

いま流行りのKY(空気を読む)じゃないけれど、風を読み砂の動きを見て枝を伸ばし花を付ける様子を表現したものだ。ハマゴウを知らない人にとっては、ちょっと意味がわからないかもしれない。

浜栲(はまごう)の熱砂を這ひて青き花

昨日のハマボウと同じで、「浜栲」は季語になりうるような気がするのだが、歳時記にはまず載っていないので、「熱砂」という季語を使って見た。この小さく可憐な花に「熱砂」という言葉は合わないような気もするが、逆に、「熱砂」という厳しい言葉が、過酷な自然条件に耐えている花にはぴったりの表現ではないかと思えてきた。
「浜栲」と言って「青き花」というのは、どうも説明っぽくて気になる。「浜栲」と言っても、ほとんどの人は知らないのだから、名前を出す必要はないのではないだろうか。

見よ青き花の熱砂を這ひ上がる

よくなってきたか。「見よ」で感動を表し、青い花の様子を叙述している。これでもいいようだが、どうもまだ説明している。「の」とか「を」といった助詞の使い方が悪いのかもしれない。

見よ青き花あり熱砂這ひ回る

完全な倒置にして緊張感を出して見た。「見よ」でも切れているが「青き花あり」と再度きっぱりと切ることによって、「熱砂這い回る」が意味を持ってくるような気がする。





夏の海辺の花-1/絶滅危惧種の黄槿(はまぼう)

スクリューのようにねじれたハマボウの花

黄槿(はまぼう)や麦稈帽の海へ飛ぶ

葛西臨海公園の海に向かって左側は、野鳥の公園になっていて、木や花などが自然の状態で管理されているため、野鳥の観察だけではなく、樹木や野草の観察にも適している。
ここには、ここでしか見たことがない「ハマボウ」という花が咲いている。
ハマボウは漢字で書くと「黄槿」または「浜朴」。Wikipediaによれば、天然状態での生息地が年々狭まっていて、絶滅危惧種になっているらしい。
ハマボウは、こんもりと茂った、高さ3メートル程度のアオイ科の落葉小高木で、七月から八月にかけて、フヨウより少し小さめ、ムクゲほどの大きさの黄色い花を付ける。
昔、初めてこの木を見た時は冬で、枯芙蓉のような状態になっていたので、フヨウだとばかり思っていたのだが、夏に見た時はこの黄色の花を付けていて、非常に興味を惹かれたのを覚えている。図鑑を調べて、この時初めて「ハマボウ」という花であることを知った。

ハマボウの花正面アップ ハマボウの全体
▲左:ハマボウの花を正面から見たところ。花弁がまるでスクリューのようにねじれている。右:ハマボウの木の全体。なぜかみな海の方に向かって花を付けているように見える。今はまだ三分咲き程度。

この花の特徴は、何といってもその気品のある淡い黄色とスクリューのようにねじれた端正な花の形にある。海に向かって咲く姿は、まるで海を恋うるようにも見える。海の彼方へ帰りたいのではないか。

黄槿や海に向かえば夏の風

ハマボウはどうも夏の季語にはなっていないようなので、「夏の風」と季語を別に入れて見た。しかし、私としては季重なりに思えて仕方がない。
俳句そのものも単調。発見がない。

黄槿と麦稈帽の青き海

黄色い花とその形から麦わら帽子を連想。「黄槿と麦稈帽」と並べて見ると、ちょうど「・・ぼう・・・ぼう」となる。これは偶然とはいえ面白い。黄色い麦わら帽に対比させるには青い海だ。色のコントラストが強烈な真夏をイメージさせる。
「と」と「の」がどうも気に入らない。「青き海」も平凡だ。

黄槿や海へ飛び立つ夏帽子

夏の黄色い帽子が、海に憧れて飛んでいくと言ったイメージ。わかるけどもパンチがないというか、面白みがない。

黄槿や麦稈帽の海へ飛ぶ

「・・ぼう・・・ぼう」の感じが捨てがたいので、もう一度麦わら帽子に戻して、下五を「海へ飛ぶ」としてみた。色のコントラストを生かしながら、海への憧れも表現するという欲張ったもの。まあ・・・。





葛西臨海公園水族館-5/お疲れペンギン

空飛ぶペンギン?

ペンギンの飛べばきっぱり梅雨明けぬ

葛西水族館にはペンギンがたくさんいる。数十羽はいるだろうか。別に芸をするわけではないが、一羽一羽の表情や動作が面白く、飽きない。
大半のペンギンはプールで泳ぎまわっているが、中には、岩の上でぐったりしている奴や、群れからちょっと離れて、ぽかんと浮かんでいるだけの奴、かと思うと一人でシンクロナイズドスイミングをしている奴もいる。
ストレスがあるのか、頭の毛が抜けたおっさんペンギンもぽつぽつと目につく。
ペンギンがプールの水の中を、右や左に一斉に動くので、何事かと思っていたら、どうも飼育員か客かはわからないが、餌をあげているようだ。

餌をもらいに行くペンギン 餌を待っているペンギン
▲左:プールの横がガラスになっていて、水中を見ることができる。ペンギンが一斉に、水中を同じ方向に飛ぶように泳いでいく。右:首を持ち上げて餌を待っているペンギン。

水の中のペンギン ストレスかな?
▲左:水中を泳いでいるペンギンを上から見ていると、巨大な魚の群れが泳いでいるような感じで、なんとなく面白い。右:ストレスからくるのか、頭の毛が抜けて、明らかに禿げかかっていて、どことなく元気がない。

梅雨明けは来週になると言っていたばかりなのに、突然、関東地方に梅雨明け宣言が出た。いよいよペンギンにもつらい真夏の到来だ。

梅雨明けやペンギンなどを見ておりぬ

ペンギンなどのんびり見ていたら、突然梅雨が明けてしまった、といったイメージ。あまりにも単純すぎるか。

梅雨明けやペンギン何か用ありげ

みんな同じ方向に急いでいる感じが、のっぴきならない用事ができてしまったように見える。これはこれでまあまあおもしろいが、ただ、感想を述べているだけなので、へえ、で終わりそうな俳句だ。

梅雨明けてペンギン空を飛び始め

ペンギンが水中を泳いでいる姿を、プールの横のガラスから見ていると、どこか映画によく出てくる、第二次世界大戦中の爆撃機の編隊に見える。みな同じ方向に同じ速さで飛んでいくペンギンの編隊。イメージは悪くないが、表現がどうもストレートでそのまま受け取ってしまいそうだ。ペンギンが空を飛ぶということが、俳味にならなければならない。

ペンギンの飛べば突然梅雨明けぬ

近い!ペンギンが飛ぶことと梅雨が明けることの、全く無意味な因果関係が言葉の中で違和感なく融合してナンセンスな世界を作り出している。ただ。「突然」があってもなくてもいい、働きのない言葉になっているので、もう少し工夫が必要だ。

ペンギンの飛べばきっぱり梅雨明けぬ

「きっぱり」は、よくぞ閃いたという感じ。これは不思議な句だ。全く無意味だけれども、この写真のイメージに溶け込んでいる。





葛西臨海公園水族館-4/変な魚たち

ヘコアユ

つんつんと涼しきリズムスタカート

さすがに水族館と言うだけあって、変な魚が多い。人が多かったこともあって、変な魚がたくさんいる小さな水槽は、飛ばし見してしまったが、それでも、何枚か写真に撮ることができた(例によって、ピンボケや手ぶれで使えない写真が多い)。

変な海藻? 変なおっさん
▲左:ときどきテレビなどでも紹介される、変な魚の代表格。海藻に見えるがタツノオトシゴの仲間だ。よく見るとなるほどと納得する。右:これはなんだかわからない。おそらくウマヅラの仲間。変なおっさんだ。

黄色いシャーペン? 足の生えたオタマジャクシ?
▲左:これは一見曲がった黄色いシャーペンに見える。口を見ると、どこかで見たような口をしているのだが何だったか・・・。右:これはおなじみ。飛びハゼの一種だが、これもよく見れば、足の生えてきた大きなオタマジャクシにも似てグロテスクだ。

メインの写真は、ヘコアユ。日本の海にも生息しているらしい。逆さになって泳ぐ変わった習性の魚だ。十数匹ほど群れになっていたが、使えそうな写真はこれだけ。
ただ漂っているだけのように見えるが、意外に素早い。動きはどことなくつんつんと小気味よい動きをする。

夏痩せて逆立ちしても何も出ず

下ばかり向いて暮らせば夏痩せる

細いということから「夏痩せ」と言う言葉が出てきたのだが、おもしろくない。この方向はまったくないような気がする。つまらない。

へこ鮎のシンクロ涼しスタカート

逆さになってリズミカルに泳いでいるところから、シンクロナイズドスイミングを連想した。
「スタカート」は、並んでいる様子や動きが軽やかでシャープなところから出てきた言葉だ。いずれにしても、どこか音楽を感じるのだが、うまく表現できているとは言えない。

涼しさの音の聞こえるスタカート

少しよくなってきた。この写真から涼しい音を感じたところはまあまあの感性だが、表現がいまいち拙い。

つんつんと涼しきリズムスタカート

写真の軽い感じやユーモラスな感じがある程度出てきたように思う。「つんつん」と「スタカート」がどこか重なる感じだが、まあ、共鳴しているということも言える。
表現が幼稚な感じもするが・・・。

今日は、これから先日の同窓会の慰労会があるので、あまりゆっくり推敲してもいられない。とりあえず、ということで。





葛西臨海公園水族館-3/洒落た紋紋

洒落た小紋のハタ

夕涼み倶利迦羅紋紋江戸小紋

水族館の魚で俳句というのも、結構つらいものがある。早くもイメージが枯渇してきてしまった。連想ゲームだ。
魚の色や模様に目を付けたのだが、熱帯魚のような、派手できれいな模様の魚はすばしっこくて撮影できない。仕方ないので、比較的のんびり動くハタの類に注目してみた。
ハタの模様は一見単調なようだが、よく見れば、なかなか洒落ている。

貫録十分なハタの顔 大柄模様のハタ
▲左:上の写真と同じ種類のハタだと思うが、こちらは模様が非常に細かい。右:こちらのハタは大柄な模様で、モダンな浴衣を連想させる。

涼しげなウツボ 縞縞の粋なやつ
▲左:ちょっとガラスの色収差が激しいが、これは洒落た水玉。顔を見ると恐いウツボのお兄ちゃんだ。右:こんなモダンな縞縞の魚もいるが、どうもピンとが合わない。

ハタの顔はどれもふてぶてしくやくざの親分といった風貌なので、模様もどこか倶利迦羅紋紋(刺青)に見えてくる。

生まれつき倶利迦羅紋紋夏模様

思いつきとして「倶利迦羅紋紋」は、まあまあ面白い。「生まれつき」というのは何だろうか。文字数がもったいない。

涼しげな倶利迦羅紋紋今流行

「涼しげな」は、季語のつもりだが、単なる感想なのであまり意味がない。「今流行」というのもどうか。折角の「倶利迦羅紋紋」が、全く生かされていない。

夏なれば倶利迦羅紋紋江戸小紋

「江戸小紋」は、我ながらよく思いついた。いま流行りのオーガニック江戸小紋とでもいうか、マリメッコのパターンにでもありそうなモダンな模様だ。
粋な親分と言えば、縦縞に決まっているが、荒々しい刺青にかわいい小紋を組み合わせたところが、またユニーク、そのギャップがおもしろい(自画自賛)。こうなると「夏なれば」がつまらなくなってくる。全部漢字にしてしまいたい誘惑に駆られる。

いま、これで決めようと一旦アップしたのだが、どうしても「夏なれば」が気にってしかたがない。詩的ではないのだ。

夕涼み倶利迦羅紋紋江戸小紋

さりげなく「夕涼み」としておく。これでどことなく浴衣の柄を思わせて、江戸小紋とも響いてくる。





葛西臨海公園水族館-2/阪神ファンの縞鯛

黄色いシマダイ?

そういえばそろそろ炎える甲子園

黄色いシマダイ(名称不明)の顔のアップを撮ろうとしたのだが、素早くてピントが合わない。ピントがあったと思ったとたん、反転したりする。
この写真は、顔のアップを撮ろうとして、わずかにシャッターチャンスが遅れてしまった失敗作だが、これだけアップになると迫力があって捨てがたい。つらつら見ていたら、甲子園を連想してしまった。黄色いシマシマ→タイガース→甲子園、という単純な図式だ。

反転するシマダイ ハリセンボン
▲左:動きが素早く、なかなかシャッターが合わない。右:これはハリセンボン。面白い動きをするので何枚も撮ったのだが、どれもピンボケやブレで使えず。これは、一番ピントが合っているものだ。

イワシの群れ マグロの群れ
▲左:イワシの大群。非常によく取れているように見えるが、よく見るとかなりぶれている。右:マグロの水槽はこの水族館最大の見せ場なのだが、まったく写真に撮れない。ガラスが分厚くガラスの色収差が出る、奥行きがありすぎてかすんでしまう、魚の動きが早すぎる、など悪条件が揃っている。

甲子園と言えば熱烈な阪神ファンと夏の高校野球を思い浮かべる。そういえば、高校野球の予選がもう始まった。

そういえば始まっている甲子園

「そういえば」というのは、この魚のシマシマを見て、「そういえば・・・」と連想しているイメージだ。「始まっている甲子園」で、夏の高校野球とわかるだろうか。明らかに夏なのだが季語がない。

そういえば始まる夏の甲子園

季語を入れたいのと、高校野球と言うことをわからせたかったので「夏の」と入れてしまったが、とたんにつまらなくなった。

夏なれど呪いの解けぬ虎戦士

今年のタイガースは、ケンタッキーおじさんも見つかって、カーネルの呪いは解けたはずなのだが、現在のところビリから二番目だ。かつての勢いなどまるでない。ということなのだが、まったくつまらないなあ。

ふと思う夏もずるずるタイガース

この魚を見ていて、ふと思ってしまった。そういえば、この夏もズルズル負けていくのだろうなあ、といったところ。ちょっとおもしろいが「ふと思う」はどうか。このままズルズルいくのも癪に障る。

ズルズルがグングン夏はタイガース

タイガースファンにしてみれば、こうあってほしいものだ。「ズルズル」と「グングン」の言葉遊びがおもしろいかとおもったのだが、それほど面白くもない。応援スローガンみたいだ。球場の入口に張っておきたい。

そういえばそろそろ炎える甲子園

結局、最初に戻って、季語を工夫してみた。「炎ゆる」という季語があるので「炎える」でも季語だという認識で使っている。
「炎える」には、夏の炎天下での「炎える阪神ファン」と「炎える高校野球」がダブルでイメージされている。
写真の魚の背びれもいい感じで「炎え」ているので、なかなかいいような気がしてきた。全国の阪神ファンに捧げたい。
ちなみに私はロッテファン。





葛西臨海公園水族館-1/ぼんやりカサゴ

ぼんやりカサゴ

暑気中りただ漂ひて月曜日

土曜日、電車で20分のところにある、葛西臨海公園の水族館に行って来た。久しぶりの晴れ間で暑い。
この水族館のある葛西臨海公園は、海に面した広い公園で、海に向かって右側(西側)は、整備された緑地や花畑のあるきれいな公園で、大きな観覧車がある。
駅の正面のドームが水族館、海に向かって左側(東側)が野鳥園になっていて、その先にはディズニーランドが見える。
東京湾に向かって広い海岸があり、その先に人工なぎさがあって、渡ることができる。水族館以外はすべて解放されていて、自由に遊ぶことができる。
東側の野鳥園は、手入れもそれほど行き届いていないので、野鳥だけでなく、野草や樹木の観察にも適している。私のお気に入りの散歩道の一つだ。
今は、ハマナスが赤い実をつけ、ハマボウが黄色い花をつけ始めた。ハマユウは盛期でハマゴウは、早くも青い小さな花を咲かせ始めている。こうした花々については追って紹介していくつもりだが、まずは水族館から。

水族館入口 水族館入口から見た東京湾
▲左:水族館の入口。ドームの一番上から入って、下に降りていくようになっている。右:入口にある池越しに東京湾を見たところ。ヨットの帆のようなものは、休憩所のオブジェ風日除け。

水族館入口から見たディズニーランド 野鳥園から見た観覧車
▲左:入口からディズニーランドを見たところ。河口の反対側にある。右:野鳥園から大観覧車を見たところ。右下の干潟にアオサギがいる。

水族館の撮影は非常に難しい。室内は非常に暗く、明るい水槽でもISO感度1600、絞り3.5で、シャッタースピードが1/60出るか出ないかだ。
また、休日は人が多く、三脚を構えてじっくり撮るなどと言うことは不可能なので、すべて、手持ちで人の後ろから撮影することになる。
さらに、魚によっては動きが早く、どんなにしっかり構えて撮影してもぶれてしまって写真にならない。この水族館の一番の人気者、大水槽のマグロの大群とか、見た目にきれいな鰯の大群などは、まったく撮影することができなかった(すべてぶれていて、全滅)。
私に撮れるのは、このカサゴのように、のんびり漂っている魚くらいだ。

暑気中りかも虚ろな目月曜病

この虚ろな目をしたカサゴと、月曜日のどこか頭が重く、けだるい感じを重ね合わせたもの。暑気あたりなんかではなく、何のことはない、ただの月曜病だということなのだが、「月曜病」は説明し過ぎ。

月曜日暑気中りかも目が虚ろ

「目が虚ろ」は、写真の感想を述べたにすぎない。写真から喚起された自分の感情を俳句にしようとしているのだから、「目が虚ろ」では、まったく俳句になっていない。

暑気中りただただよって月曜日

暇で思考力ゼロの感じを「漂う」というイメージでとらえたもの。「ただよって」は「漂って」のことだが、「ただ」と「ただよって」の音が重なるおもしろさを強調するために平仮名にして見たものだ。ちょっとわかりづらい。

暑気中りただ漂ひて月曜日

「漂ひて」と、文語体の旧かな遣いにして見た。文語体の方がしまる感じがするので、それはそれでいいとして、「月曜日」は、どうもすっきりしない。ここがポイントではあるのだが、テストの答えを見せてしまっているような感じがする。

◆ ◆ ◆

今朝、NHKフォト575(テーマ化粧・飾る)で、私の作品が放送された。明日14日は「安心」のテーマで応募した作品が放送される予定。
また、明後日15日(水)は、私自身の紹介映像が一分間だけ流れることになっている。本名で、顔も出ていると思うので、気になる方はどうぞ。

カシャッと一句フォト575
7/1(水)NHK BS2 朝)8:00〜8:15
      再放送 夜)7:45〜8:00




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